目的と効果が曖昧なまま「勉強している」ことに安心してはいけない

「転職のためにOOというプログラミング言語を勉強している」の危うさ

 「転職のためにOOというプログラミング言語を勉強している」というプログラミング未経験者の話をよく聞く。

 勉強自体は、本当に必要であれば存分にやったらいい。本当に必要であれば。

 しかし、本当に必要かどうか、考えてもいないのに勉強を始めてしまうと、その努力が徒労に終わる。

 そればかりか、勉強している間はそれなりに大変なので、「努力してる感」に全身を支配され、勉強したから大丈夫!という「間違った自信」がつき、勉強したから他は何もいらない!という「思考停止」状態になる。

 こうして転職の面接現場に「勘違い君」が降臨する。これは誰にとっても良いことじゃない。

 努力は正しく行うべきである。

「プログラミングの勉強」ってそもそもなんだ?

 「プログラミングの勉強」という言葉は、例えば「野球の練習」と同じくらい包括的な言葉である。

 今日の予定を適当に返事するために使うには便利だが、目的のための手段として使うには、あまりに意味が広すぎる。

 なので「プログラミングの勉強をしよう!」と思ったら、まずは学ぶものを具体化する必要がある。

具体的に転職先に何をアピールするための勉強なのか

 頑張って勉強しているプログラミング言語を、転職先志望の会社にどうやってアピールするつもりなのだろうか?

 言語のメソッドをたくさん知っていることだろうか?

 とりあえず動くプログラムを作れたことだろうか?

 パフォーマンスを向上させるチューニングができることだろうか?

 「何をアピールすれば確実に内定が取れる!」みたいなアピールポイントは思い当たらないけども、採用してもらうには、相手が求めるものを持っていることをアピールしなければならないだろう。

「勉強」の効果がわからなければやらない方がいい

 「勉強」したことで転職先志望の会社に何をアピールできるようになるのだろうか?

 この答えが出るまではプログラミングの勉強を始めてはならない。徒労に終わる可能性があるから。

 例えば、野球で安打率を上げたいのに、必死にベースランニングをやっても無駄なことは誰でもわかること。

 つまるところ、こと転職以外においても、「やっている努力が何に結びつくのか」、ということを考えて努力しなければ、努力の先に求める結果は得られないだろう。

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