生きられる時間は決まっている
仕事に家事などの「やらなきゃいけないこと」をやっている時、貴重な休みに「つまらない飲み会」に参加してしまった時、なんとなくで飲み屋に7,000円近く払った時、格闘技のジムで初心者向けのかったるい練習をしている時に思った。
こういう「つまらないこと」で自分の人生を埋めてしまうとどうなってしまうのか?と。
当たり前のことだが、誰しも生きていられる時間は決まっている。
ついつい忘れがちな真実だが、人は無限には生きられない。
有限な命をどう使うかで、自分の人生を「幸せな人生」にできるかどうかが決まる。
やりたいことがやれる時間は寿命よりずっと短い
人生の中で、「やりたいことがやれる時間」は寿命よりも短い。
境遇によっては、この時間が全くない人もいる。非常に残念なことだが。
だから、「やりたいけど今じゃない」なんて言って「やりたいこと」を先延ばしにする場合、「どのくらい先延ばしにできるか」ということを具体的に考えておかなければならない。
先延ばしにして設定した年齢では、もう「やりたいこと」がやれない可能性もある。
やりたいことをやるためのお金と体力も有限
「やりたいこと」をやるためには、時間あるだけではダメな場合が多い。
お金や体力、「やりたいこと」の種類によってはもっと多くのものが必要になる。
「やりたいこと」をやるために、これらを手に入れ、増やし、温存することも必要である。
お金が必要なら、働いてお金を稼いだり、そのお金を投資で増やしたり、無駄遣いせずに貯めておくことが必要。
体力が必要なら、体を鍛えて体力を増やし、かつ、無駄に体力を使うことをやめて、「やりたいこと」に体力を集中させることも必要だろう。
「やりたいこと」をやるためには、時間も、お金も、体力も、その他必要なリソース全てを計画的に手に入れ、温存することも必要なのである。
だから人生を楽しむためのリソースを、「つまらないもの」に無駄遣いしてはいけないのである。
後悔しないために自分にとってベストなモノと選び続ける
「やりたいことができる幸せな人生」を作るために、リソースは無駄遣いしてはいけない。
無駄遣いしないためには、常に自分にとってベストなモノを選ぶことが必要だ。
「なんとなく時間を使う」とか、「満足度は低いけど他人に合わせてお金を使う」とか、「楽だからと体を鈍らせる」なんてことをしていては、人生が無駄にまみれる。
無駄にまみれた人生の中に、人生を楽しむためのリソースなんて残らない。
無駄に使ったリソースの残りカスを集めても、「やりたいこと」をやるには全然足りないのである。
「これは自分をどう幸せにするのか?」と問い続ける
今まさにやろうとしていることが、「自分をどう幸せにするのか」ということを考えて、やるかやらないかを決める必要があると思う。
やっていて面白くないし、続けても大したリソースが得られないことが予想できたらそんなものはやめればいい。
仕事も、趣味も、人間関係もすべて同じ。
それが自分を幸せにしないなら、それは自分の人生にとっては無意味なものなのである。
人生を楽しむための時間は短いし、リソースもギリギリしかない。
ならば無意味なものに貴重なリソースを使ってはならない。
感動できないゲーム、つまらない人間関係、役に立たないモノやサービスなど、無駄なものは全部無視するようにしたい。
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