知能が低い人が集まるyoutube動画のコメント欄が怖いと思った話

知能が低い人の文章が怖い

 

 普段は以下のブラウザのアドオンでyoutubeのコメント欄を消している。

 コメント欄を見ると「こんなにも知能が低い人がいるのか!」と恐ろしくなるからだ。

 しかし、たまに怖いもの見たさでyoutubeのコメント欄を見たくなる時がある。

 そういうときにコメント欄を覗いてみると、期待通りにゾッとする。

偏差値でお馴染みの「ベルカーブ」によれば圧倒的に知能が低い人はちゃんと存在する

https://www.tachibana-akira.com/2019/08/11838

 日本国内の学校教育をスムーズに受けてきた人にとってはお馴染みの偏差値は、上記のようなベルカーブを描く。

 これによって、自分が全受験生の中でどれくらいの学力を持っていて、自分が行こうとしている学校はどれくらいの学力を持った人たちが集まっているのか、ということがわかる。

 仮に自分の偏差値が50だったとして、偏差値25の人は自分の半分くらいの学力だと想像できる。

 自分の知能が全体のどれくらいの場所に属しているかが分かれば、その上位と下位の知能がどんなもんか、自分を基準になんとなく想像できるのである。

 筆者は大学入試の際に、度重なる模試のを受けた結果、偏差値58~62くらいの大学に入学できることができると判定された。

 大学入試は国公立と私立、試験科目によって必要な学力はまるで異なるので、一概に比べることはできないが、なんとなく自分基準で相手の学力を想像して話をするようになった。

知能が低い人が集まるyoutube動画のコメント欄の実例

 人間の知能にばらつきがあることは、学生時代の受験で体感している。

 しかし、学校はステージが上がるごとに学力で棲み分けがなされるので、実際に知能が低い人と触れ合うことはほとんどなかった。学力ごちゃ混ぜの環境にいたのは中学生までだったと思う。

 当然、学力=知能ではないが、学力の高さは少なくとも文字によるコミュニケーションがある程度できることを保証してくれていると思う。全ての学科は文字が読み書きできないとまともな成績を修めることができないから。

 なので、文字によるコミュニケーションによる場においての知能は、学力が関係している可能性が高いので、youtubeのコメント欄の評価においては学力=知能として考える。

 youtubeのコメント欄では、偏差値のベルカーブの中央より左側の人間の生態がよくわかると思う。

句点と読点が使えない野人

 なんで「ほとんど文節ごとに読点を打っているのか」がわからない。

 こういう文章はyoutubeのコメント欄で散見される。

 句点と読点を「スペース」で謎に代用してしまう文章。

 こっちもよく見る形の文章。

論理的に説明できない野人

 なぜこれを書いたのかよくわからない文章。そして何を言っているのかよくわからない文章。

 1つの文章の中に関係性が薄い話題が複数入っているのが問題。

訳のわからない野人

 なんだかこの文章の後ろに、「頭が悪くて、気持ちの悪い、小汚いおっさん」が透けて見える文章。

野人とはコミュニケーションができない

 野人は文章をまともに書くことができない。

 それは、自分の考えを整理して、相手にわかりやすく伝える術を持たないことを意味する。

 さらに、自分の考えをアウトプットする方法に問題があるのだから、きっと相手から投げかけられた言葉を理解するというインプットにも問題があるはず。

 なぜならインプットはアウトプットの逆のことをやるだけなのだから。

 こういう人とまともにコミュニケーションが取れるということを期待してはいけないと思った。 

元の動画

 節約テクニックの参考に幾つか動画を見ていたが、こういう「お金のない人」が興味を持ちがちな動画は、知能の低い野人が集まりやすいんだと思った。

 知能の低い野人の相手をしている投稿主さんが少しかわいそうである。

知能が低い野人はちゃんと存在していると心得る

 自分の身を守るために、自分が文明社会で快適に生きるためには、こういう知能の低い野人から距離をとって生活できるようにしなければならない。

 そのためには、「自分を守るための支出をケチらない」、「相手が野人だと判断できたらすぐに距離を取る」ということは少なくとも必要であると改めて思った。

仙人みならい

1990年生まれ。嫌なことするくらいなら欲しがらないスタイル。いちおうrailsエンジニア。ゲーム好き夫で本好き夫。ギターも少し弾ける。格闘技はムエタイと柔術が少しできる。

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