試合に向けて集中して練習した反動で格闘技に対して無気力になる
1ヶ月間、週5で練習して試合に出て、負けた。
自分の練習が足りなかった、格闘技経験が足りなかった、と言うよりも、試合に向けたコンディション作りを全く考慮しなくて、当日に体調を崩して負けたのが残念でならない。今回の負けは、自分の無知や考慮不足が招いた自爆であることがたまらなく残念。
そんな残念さを引きずって、8月に入った現在は全然格闘技をやる気がしない。プロの試合も、テクニック解説も全く見たくない。格闘技の情報が一切頭に入らないような環境が心地良くなっている。
試合に出るのは未来の自分に思い出を残したい、というモチベーションが一番大きかった
じゃあ、「試合に勝ちたかったか、勝ってれば格闘技に対してモチベーションを保ってられたのか?」と言われるとそうでもない。実際のところ、「プロを目指さないアマチュア」にとっては、試合に勝っても負けても結果自体には人生になんの影響もない。それはよ〜くわかっている。
勝ち負けよりも試合という本気の環境でプロさながらの「良い試合」がしたかったのである。そして、それを未来の自分への贈り物にしたかったのである。
格闘技なんてハードなスポーツの試合なんて、歳をとったらできるもんじゃない。なので今しかできない思い出作りなのである。歳をとって、身体が動かなくなった時に、昔頑張ってた自分を見たい、「昔みたいに頑張れるかも!」と思えるようにしたい。そのための思い出作りが、格闘技の試合に全力で臨むことの目的だった。
まぁ結果として、当日は体調不良だったけど「全力で試合に臨んだ」という部分については動画も残してあるし、成功といえば成功か。なんか、クライマックスがしょぼい映画みたいになっちゃってると思うけど。。
痛みの再認識とボディメイクができる格闘技は素晴らしいので細くでも続けたい
試合に出るモチベーションは今の所一切沸いてないけども、格闘技は細くでも続けたいとは思っている。
練習でも殴り合っていれば、身体の「痛み」について再認識でき、無駄な闘争心を抑えることができる。暴力を鍛えることで、暴力の悲惨さを知るから、暴力を使わない思考に至れると思っている。「痛み」を忘れると心が無駄に浮ついて制御が効かなくなりそうなので、格闘技は細くでもいいから生涯に渡って続けたいとは思っている。
全身をフルに使う格闘技は、身体の隅々のコンディションに敏感になるので「身体のたるみ」をすぐに発見することができるのもいい。太ったら練習量を増やしたり、食生活を見直したりすることで身体をメンテナンスすると言う意識になる。個人練習でも対人練習でも身体を余すことなく使うので、何かしらの練習さえしてればそれがボディメイクにつながるのが本当に効率が良くて好き。
ここまで書いてたら少し格闘技に対して情熱が湧いてきた気がした。お盆明けからゆっくり再開しようかな。
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