島崎藤村『破戒』:初見感想メモ

kindle unlimitedで『まんがで読破』シリーズを読破する企画

 詳細記事はwip

島崎藤村とは

  1. 父親と長姉が、狂死した。
島崎藤村 - Wikipedia

 狂死って死因を初めて知った。

島崎藤村『破戒』:初見感想メモ

法律・制度の限界

 法律や制度等の「仕組み」は社会における人の行動を「ある程度」は規定するが、人の心については容易には変えられない。 

 だからこそ、法律や制度は常に規則と罰則がセットになっている。「仕組み」の意図通りの心を持てば罰則なんて必要ないが、そうならないことは自明なのできちんと罰則を用意しているわけ。

 そういう人間社会においては、「仕組み」と人心の矛盾は起きて当たり前。

まんがで読破『破戒』より

 とはいえ、この明治の人々の様子は、三島由紀夫が嘆いたように「天皇主義者が一夜にして民主主義者になる」ように「表面上はお上にひれ伏しがちな日本人」とはだいぶ違うように見える。日本国ができて間もないから、お上の言う「従うべきイデオロギー」の存在にピンと来てないのか、あるいは、従わないメリットの方が大きいからか。またはどちらもか。

まんがで読破『破戒』より

 また、「仕組み」は私情を排除するし、また私情に利用される。これは今(2025年12月10日時点)も同じ。「仕組み」が力を持った今の方がこれは顕著。

 宮台真司氏が言う、以下の「クズの3要素」は「仕組み」と同化した人間で、これは今だけの問題じゃなくて昔からそうなんだなぁと改めて思った。

  1. 「言葉の自動機械」:自らの頭で深く考えず、社会やメディアから与えられた言葉や論理を無批判に反復するだけの人。
  2. 「法の奴隷」:法や規則を絶対視し、その背景にある倫理や目的を考慮しない、形式主義的な態度。
  3. 「損得マシーン」:物事を常に金銭的な利益や個人的な得失で判断し、それ以外の価値観(仲間、倫理、公共性など)を蔑ろにする人。

 「仕組み」は人間同士のやり取りを機械的にする。誰が相手でも同じ対応をするから、「仕組み」の前では人間は入れ替え可能である。だから会社員や行政職員など「仕組み」通りに動く人間は入れ替え可能で、現にいつでも人がすげ替えられる。

 とはいえ、「仕組み」は人心までもはコントロールできない。しかし、「仕組み」は人を動かして理想を実現させるためにあるモノ。そんな「仕組み」の欠点を解決するのは人の心を動かす「情」で、それを発揮できるのが「人と関われる人間」である。

身分通りにふるまって幸せになってる人はいない

 「仕組み」の一つとして人の行動を規定してきた要素として「身分」がある。今の世の中では「武士」や「僧侶」なんて「身分」はないのでイメージしにくいが、学生や会社員なんかの「職業」、大人や子供などの「年齢」、男性や女性の「性別」なんかは今でもある「身分」の一種で、我々の思考や行動はこれらの影響を受けている。

 『破戒』では「身分」が人を幸せにしているシーンはない。

 「身分」がゆえに人間扱いされない人や、「身分」が規定する生き方に合わせられない人、逆に「身分」の規定する生き方に忠実過ぎて目の前の現実に適応できない人など、「身分」がゆえに不幸になっているパターンしかない。

まんがで読破『破戒』より

まんがで読破『破戒』より

 一方で、幸せになっているのは「身分」を超えて人と向き合った人だけである。これは物語の演出上はある程度偏っているかもしれないが、友人関係に置き換えてみた時になんとなく納得できる。

 筆者は大人になってから、特に働き始めてからは友達ができにくくなった。それは付き合う人間を無意識にゾーニングしてしまうようになったからだと思っている。学歴、勤め先、年収、スキル、資産など「身分」に似た要素でその人と深く付き合うか迷ってしまう。

 とはいえ、これは筆者のプライドでそうなっているのではなく、単純に「持っているモノの差がトラブルに発展することを危惧しているから」である。

 まぁその「トラブル」を乗り切るための関わりを避けているようじゃ、宮台真司氏が言うところの「クズ」になってしまうんだろうけども。。でも最近のトラブルは「激しい」から怖いなぁとも思う。

 結局、今も付き合いのある友達は中高校時代までに関係を作った人たちで、今のところは「身分」を脇において、昔の延長線上で付き合うことができている。

まんがで読破『破戒』より

 理想はこういうことなんだけど、それはお互いに「身分」の要素を手放さないとできないのが辛い。どちらかが上からでも下からでも「身分」を持ち出せばたちまち付き合い方が変わってしまう。

貧困のループ

 同時代の福沢諭吉の『学問のすゝめ』みたいな話だが、これは今もそう。

 「卵が先か、鶏が先か」みたいな話だが、こういう悪循環は普通にある。

まんがで読破『破戒』より

ガス抜きとしての「悪いやつ」

 人間は集団になると必ず「差」を見つけて上下関係を作る。これが「争いになりかねない人間同士」で起こると被害のデカい戦いになるので、「わかりやすく、そして、絶対に反撃しない弱者」を用意しておくことは統治する上では効率がいい。

 この「いじめてもいいヤツ」を用意しておくと、そうでない人は安心するし、トラブルが起きてもそいつらのせいにすればいいので、人間関係は安定する。政治への不満を逃がすための芸能人叩きとかはそういう構造に似てるし、「人生詰んでる系youtuber」をみんながこぞって眺めるのもそういうことな気がする。

まんがで読破『破戒』より

幸せのインフラとしての社会からの承認

 筆者は幸せの土台として、「お金、時間、健康、人間関係(仲間)」があることが必要だと考えていたが、確かにこれじゃ足りないと思えた。

 結局、社会から居場所を承認されなければこれらがあっても幸せにはなれない。宿に泊まっただけで石を投げられたらたまらない。

 こういうことは現代でも、例えば、ユダヤ人であるとか、中国人(漢族)であるとかを見ればわかる。彼らはむしろお金は世界レベルで持っている方だし、同族は仲間である。しかし、社会からの承認が足りていないので肩身が狭そうである。

まんがで読破『破戒』より

 4大リソースが幸せの土台であることは変わらないが、その中に「社会からの承認」を加えて5大リソースとして考えておくといいと思った。

感想:「差別はよくない!」みたいな薄い感想しか持てなかった大学時代を思い出した

 筆者が大学生のころに初めて書いたレポートは「ホロコースト」についてまとめたモノだった。このレポートは、「ナチスの行動がいかに合理的でないか」みたいなことを事例を集めてまとめただけの「誰でも知っているつまらない内容」になった。そうなったのはサボったからじゃなくて、単純に「差別はよくない!、する必要はない!」みたいなスローガンで悪を糾弾することに酔っていたからだと思う。まぁそれはそれとしてそんなに悪いことじゃないけど、考える機会がある大学生がやるにはあまりもつまらないし、もったいない。

 筆者という人間が労力を使って書くなら、大事にすべきなのは、「どうしてそうなってるのか」、「自分の周りはどうなってるのか」とか、一歩踏み込んだり、もっと具体的にした視点で調べて、考えて、書くことだったと思う。

 まぁ35歳(1990年生まれ)の今(2025年12月10日時点)、それに気づいてこういう文章が書けているのは成長したと喜んでいいように思った。

コメント