まんがで読破『失われた時を求めて』
読んだ本は以下の通り。

『失われた時を求めて』について
社交に明け暮れ、無駄事のように見えた何の変哲もない自分の生涯の時間を、自身の中の「無意志的記憶」に導かれるまま、その埋もれていた感覚や観念を文体に定着して芸術作品を創造し、小説の素材とすればよいことを、最後に語り手が自覚する作家的な方法論の発見で終るため[8][7][15][16]、この『失われた時を求めて』自体がどのようにして可能になったかの創作動機を小説の形で語っている作品でもあり、文学の根拠を探求する旅といった様相が末尾で明らかになる構造となっている[8][15][17][18]。
出典:

主人公が何かを思い出してはその過去のシーンの回想が始まるスタイルの物語で、回想が現代に追いついたところで、「あ、これを小説にすればいいんだ!」みたいな気づきと共に終わる話。
今となってはよくあるスタイルだし、正直、回想シーンの内容も個人的なものすぎてどうでもいい。恋したとか、嫉妬したとか、ゲイとかレズとかを見つけたとか、病気になったとか。
現代に生きる筆者からすると言うほどドラマチックなものはない。
『失われた時を求めて』は長さが長大なだけでなく、1つの文章も非常に息が長く、隠喩(メタファー)の多い文体となっている[9][19]。また、数百人にも及ぶ厖大な数の登場人物のうちの主要人物も数多く、その関係も複雑で、物語に様々な伏線が張られているなど、作品全体の構造が捉えにくい面もある[9]。
『まんがで読破』だといい感じにストーリーが削ぎ落とされているが、欧米系の文章特有の、「意味があるようで別にない系の文章」が多数散りばめられている模様。
こう言う文章は「脳のメモリ」を無駄に消費された気がして筆者はムカつく。筆者は「本筋」をじっくり味わいたいのである。
ちなみに筆者は、『宮部みゆき』の作品も登場人物が多すぎてギブアップする系の人間なので、本作を原著で読むことは生涯ないと思う。
歳と共に記憶を忘れ、出来事への関心も無くなっていく

まんがで読破『失われた時を求めて』より
子供頃は「寝る前にママがキスしてくれない程度のこと」で心が動いていたのに、じいさんになるとそんな記憶も忘れるし、今まであったことが「無駄だったこと」に感じる様は、筆者もなんとなくはわかる。
「あの頃の情熱はどこに行ったんだろう」みたいなもんか。
洋の東西を問わず、時代を問わずで人間とはそう言うものっぽい。
ある程度は忘れないとやってられないのが人間

まんがで読破『失われた時を求めて』より
本作の主人公は基本的に失恋する。しかも、ほとんど取るに足らない、よくある理由で。
が、しかし、そうであるが故にしばらくするとすっきり忘れられている。

まんがで読破『失われた時を求めて』より
もし、失恋をずっと引きずって、毎日しょんぼりしていたらきっと生きていけなかっただろう。
筆者もこれについてはよくわかる。
「時」は失われてなかった

まんがで読破『失われた時を求めて』より
挑戦する=>傷つく=>学ぶ=>瑣末な部分は忘れる、を繰り返して人間ができていくとすれば、歩んできた「時」は失われていないのではないかと思った。
書き残すかどうかも別として、今そこにいるその人が歩んできた「時」の全てを背負って生きているわけなので、「時が過ぎたから失われた」とするのはなんか違う気がする。
まぁ主人公は最後にそれに気づいている気がするけども。
アウトプットする精神は好き

まんがで読破『失われた時を求めて』より
本作の主人公がただの『ノスタル爺』にならなかったのは、自分の人生をアウトプットして他人の役に立てようとしたところなのかも知れない。
筆者のこのブログ執筆も似たようなモチベーションでやっているので、この気持ちには共感する。
感想まとめ:人間の感性はちゃんと進化している
この話を読んで、「あ〜、こう言うのあるよね」みたいに感じられると言うことは、感性が進化している証拠だと思う。
「うわ、マジで!?初めて知ったわ。そんな考え方。。」みたいにならなかったので、少なくとも筆者の感性は進化している。
しかし、そんな筆者も独力で完成を進化させたわけじゃなくて、今日まで生きてきた中で、先人たち(といっても現代人だが)のいろんな考え方に触れたり、自分で経験したりして進化してきたんだと思う。
そう考えると、筆者を取り巻く現代人の多くはきちんと進化していると言えそう。すばらしいやん。。

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