kindle unlimitedで『まんがで読破』シリーズを読破する企画
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太宰治『人間失格』初見感想メモ
人間がわからない=>わからないから恐れる=>怖いから服従する

『まんがで読破 人間失格』より
主人公の葉蔵は、人間のことがわからないがゆえに怖く、怖いがゆえに逆らえないので、恐ろしいモノの標的にならないように幼少の頃より誰に対しても「イエスマン」でいることを決め込む。
葉蔵の理解のプロセスとして「客観的事実から答えを出そうとする」ので、気分や習慣、その場の空気みたいなことを理解することはできない。そもそも人のやることなすことに「どうしてそう考えるのか」、「どういう仕組みでそうなるのか」ということをいちいち当てはめてもよくわからない。多分やってる本人もわかってないはず。人間の行動には根拠はなく、周囲に合わせて「なんとなく」やっていることがほとんどなのは、今(2025年12月9日時点)も昔(『人間失格』執筆時点)も変わらないらしい。
実は筆者も25歳くらいまでは「葉蔵のような理解のプロセス」で人と接してきた。結果、人間関係はほぼできず、さらには「嫌なことをする意味」にも敏感になり過ぎて、就職もせずに、ヒマを持て余していた。26歳で就職してからは「葉蔵のような理解のプロセス」は出てこなくなった。ただし、人間関係に対しては割と「イエスマン」であったようにも思う。とはいえ、こちらは「人が恐ろしい」からというよりも、「その方がメリットが大きい」からみたいな考えでやっていたように思う。
葉蔵は生涯を通して態度を変えられなかったので、より悲惨なことになっていく。
イエスマンを利用する男

『まんがで読破 人間失格』より
金持ちで「イエスマン」の葉蔵は、上京するとその金をはじめ、いろんなものを「男たち」に搾取される。親からの仕送りも、労働力としての自分も、自分が惚れた女の人も、求められたら差し出している。
この時の葉蔵の思考は、一応は「論理」であり、「感情」は押し殺している。「自分はこうしたい」ということよりも、「客観的に見て妥当であること」を根拠に自分を無理やり納得させている。

『まんがで読破 人間失格』より
とはいえ、葉蔵の中では「妥当っぽい論理」で行動することに「葉蔵の心」は耐えられない。「論理による我慢」が限界を迎えると葉蔵は逃げる。物理的に距離をとったり、酒や女に逃げる。
相手の怒りや失望など、ネガティブな感情に相対するのは確かにしんどい。が、その「短期的なしんどさ」とどう向き合うかは「長期的なゴールの位置」が重要になる。それを避けるために「ごきげんとり」をすることで得られるメリットが自分の理想の助けになるならそれは妥当だし、ならないならそれは苦しくてもやめた方がいい。宮台真司氏の言う、『上司のケツにクソが付いていても舐める』のはそれがサラリーマン人生において「長期的なゴール」に近づくための効率的な手段だからやってるのであって、企業戦士すべてが「ただのドM」ということはないだろう。もっとも、それは「生活」のためであって、企業や顧客、さらには本人の心ためになってないというところが残念なわけだが。。
利用されるイエスマンを憐れんで惚れる女

『まんがで読破 人間失格』より
一見すると、「ごきげんとりに徹する哀れなイエスマン」である葉蔵は情けないいじめられっ子のように見えるが、女の人によくモテる。
ただしこれは「憧れの男」を追いかける情熱的な恋心とは全然違うように思う。どちらかというと「かわいそうさ」がその根源にある気がする。おそらく葉蔵を見ると「自分より劣った存在を世話したい」という、ペットに対する感情のようなモノが湧き上がるんだろう。そういう気持ちはなんとなくわかる。
おそらく葉蔵は、「自分に惚れる女の人の気持ち」をわかっていると思う。そしてそれを好ましく思っていない。これは「男としてのプライド」なのか、それとも女たちのこれも「尊厳の搾取」であり、「男たちが葉蔵にしてきた搾取」と似たようなモノとして葉蔵が逃げるべき不満だったのかもしれない。
「無垢」とは勝手に他人に見出した物語

『まんがで読破 人間失格』より
葉蔵は「搾取」とは無縁の存在でありそうな、葉蔵曰く「無垢」な少女と出会って結婚する。
しかし、葉蔵が期待した「無垢」は幻だった。

『まんがで読破 人間失格』より
これまでで自分に危害を加えない唯一の存在を「無垢」として有難がっていたが、実際には「悪いことが何なのかわかった上でやってないのではなく、何が悪いのかよくわかってないだけの人」だったことに葉蔵は絶望する。
J.D.サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の「ホールデン」が、自分の周りが「インチキだらけ」だったことに絶望しつつも、幼い妹の「フィービー」だけは葉蔵が言うところの「無垢」で、そういう存在が居るから「世界も捨てたもんじゃない」と生きていけたような構造と似ているように思った。もっとも、「ホールデン」のその視点も「フィービー」には見透かされていて、「無垢(笑)」はどっちなんだかよくわからない状況がまた面白かった。
結局のところ、「無垢な存在」があるんじゃなくて、「無垢だと思える存在」に触れることで、自分の壊れそうな心を保とうとしている人がいるだけなように思った。そして「無垢だと思える存在」への依存は、つまるところ「幻想に逃げているだけ」で、自分を苦しめる世界との関係を回復させることはない。
こう考えると、アニメキャラやアイドルの少年少女に「癒し」を求めて熱狂している「大人」の思考も同じようなモノなんじゃないかと思う。葉蔵やホールデンは今やそこかしこに居るんじゃないだろうか。
逃避としての酒とクスリ

『まんがで読破 人間失格』より
結局「人間に救いはない」ので、葉蔵が逃げ込む先は酒とクスリである。「論理」で多くを理解しようとし、結局「論理」で不幸を作り出す葉蔵にとって、酒とクスリは思考を破壊してくれる具体的な救いだったように思う。
自立して生きていけないから「人間失格」

『まんがで読破 人間失格』より
自立して生きていけないと悟った葉蔵は自分を「人間失格」とする。(タイトル回収)
感想まとめ:葉蔵みたいな人は珍しくない
現代も相変わらず他人は理解不能で、かつ、現実逃避のコンテンツは消費しきれないくらい量産されている。戦うことに疲れた、あるいは、戦うことのコストよりも現実逃避する方がラクと判断して不戦を決め込む人は葉蔵のように「無垢」という幻想に逃げ込んで出てこない。逃避を続けて身持ちを崩せば「人間失格」する。その予備軍はきっとたくさんいるんだと思う。
他人を恐れるばかりじゃなくて、時に折り合い、時に立ち向かって、自分を守らないといずれ「人間失格」する。
「お金、時間、人間関係(仲間)、健康の4大リソース」があれば幸せになれると思っていたが、これは「幸せの土台」であって幸せそのものじゃなかったと、「このすべてをほぼ持っていた葉蔵」を見て思い直した。この上に自分でデザインした幸せを建てるのである。それをするためには「世界との関わり方」について、自分で考えておく必要があると思った。

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