『DEATH STRANDING』で「いいね」の本質は「ありがとう」だと学んだ

『DEATH STRANDING』はプレイヤー間で「いいね」を贈り合う

 『DEATH STRANDING』では、フィールドに建築した施設や乗り物、アイテムを他のプレイヤーと非同期的に共有できる。

 『DEATH STRANDING』はフィールドは広大だが、その移動にはさまざまな制限があるゲームだ。舗装された道路は限られているし、乗り物はバッテリーで動いているし、装備品は時間経過で壊れるし、主人公のスタミナも徐々に減っていく。

 このように移動に制限ある上で、このゲームをクリアするためには積極的にフィールドを移動し、荷物を配送しなければならない。

 ゲームを進めていくと、この移動を便利にする施設を、ゲーム内で獲得したアイテムを使って作ることができる。こうやってアイテムを稼いで徐々に移動を楽にしていくことが、このゲームのクリアに繋がる。

 しかし、プレイヤー1人の力では、広大なフィールドに施設を建築していくことは難しい。できることはできるが、ものすごく時間がかかる。

 そこで他プレイヤーとの施設の共有機能が役に立つ。

 誰もが苦戦する難所に「休憩エリア」を建築してくれているプレイヤーがいると、それだけでゲームの難易度がいい意味で下がる。このゲームをやっていれば、「この施設があったおかげでクリアできたミッション」がいくつも思い当たるのではないだろうか。

 役に立ったと思った施設には「いいね」を贈ることができる。

 ゲーム中で見かける役に立つ施設は、たいてい「いいね」が万単位でついている。

『DEATH STRANDING』の「いいね」は「ありがとう」と同義

 『DEATH STRANDING』は他のプレイヤーとやり取りする「いいね」の他に、NPCからも「いいね」をもらうことになる。

 どちらの「いいね」も「ありがとう」と感謝されたときにもらうことができる。

 役に立つ施設を作って他のプレイヤーの役に立ったとき、荷物を配送してNPCの要望を叶えたとき、に「ありがとう」の代わりに「いいね」をもらうことになる。

 現実世界のSNSで交わされる「いいね」は、複雑に意味を含み過ぎているが、『DEATH STRANDING』の世界の「いいね」は単純で、わかりやすくて、それでいてもらうと気持ちがいい。

「いいね」を集めるとゲームを進めやすくなる

 「いいね」をたくさん集めたプレイヤーにはいいことが起きる。

 まず、主人公が強くなる。たくさんの荷物を同時に運べるようになったり、ダメージに対してタフになったりと、たくさんのメリットがある。

 次に、アイテムを融通してもらえるようになる。これによって、フィールド上にさらに多くの施設を建築したり、武器や防具、乗り物などの道具を作ることもできるようになる。

 さらに、フィールド上に建設できる施設の数も増えるようになる。これによってたくさんの施設を組み合わせて、より快適な移動や戦闘を行うことができるようになる。

 このように「いいね」をたくさん集めたプレイヤーは、ゲームを進めやすくなる。

現実世界は「いいね」は「お金」に変換して贈り合うから繋がれない

https://note.com/mitanorifusa/n/n71ce22eabaf0

 現実世界では「いいね」を「お金」に変換してから贈り合う。

 うまい飯屋でうまいものを食べたお礼に、「いいね」の代わりに「お金」を払う。

 これは一見、なんでもないことのように思える。代わりに「お金」を渡してるんだから問題ないと。

 しかし、こうやって「いいね」を「お金」に変換するときに、「ありがとう」の気持ちがなくなってしまうことが多い。

 なんならむしろ「お金」をあげた側が「いいね」=「ありがとう」を要求することさえある。たいていの場合において、サービスを提供した側が「ありがとうございました」って言うもんね。

 『DEATH STRANDING』はサービスの提供と「いいね」を贈ることで、人と人とが密につながっていくが、現実世界はサービスとお金の交換で終わることが多いので、取引を通して必ずしも人と人とは繋がらない。

 「お金」で取引が円滑に進むようになるのは、「お金」を信じることようにしたことで、人間を信用する必要を無くしただけのこと。取引相手の人間を信用しなければ、いつまでも繋がることはできない。

「お金」は便利だけど「お金」だけに頼ると人は孤独になる

 世界が崩壊して人が離れ離れに生活する『DEATH STRANDING』の世界の方が、いつでも自由に人と会える現実世界より、人との繋がりを感じた。

 「ありがとう」が入ってない数字だけの「いいね」を贈り合うSNSや、「ありがとう」を削ぎ落とした「いいね」である「お金」よりも、「ありがとう」の言葉と共に贈られる『DEATH STRANDING』の世界の「いいね」に感動すら覚えた。

 心地よい生き方をするためには、ただ機能的であるだけではいけないし、そもそも筆者は「お金」だけに頼って生きられるほどお金持ちでも有能でもない。むしろ無能な方である。

 『DEATH STRANDING』をプレイして、このブログをはじめ「いいね」をもらえる人になり、かつ、本物の「いいね」を贈れる人になりたいと思った。

コメント