ニュースは「自分との関係性」を考えながら見ないと意味がない

ニュースそれ自体は基本的には全て他人事

 ニュースそれ自体は基本的には全て他人事である。

 なので、当然、自分にとってその全ての他人事に価値があるわけではない。

 それを知る前と知った後で自分の行動の何かが変わるなら、そのニュースを見た意味があったし、なければただの時間の無駄である。

 人生は短い。そして1日はもっと短い。

 時間を無駄にしていては人は何も成せずに終わっていく。

他人事の情報を自分の行動にどう活かすかが大事

 他人事の情報が全て無駄なわけではない。

 例えば、他人が危険な目にあったニュースを知れば、その場所が今危険であると言うことがわかり、そこに行かないと言う自己防衛ができる。

 技術開発だったり、行政制度の変更だったりのニュースは近い将来、自分ごとになるので知っておくことは備えに繋がるので有益である。

 このように、そのニュースを知ることによって自分の行動が変化するならば、それを時間を使って見知る価値があったと言うもの。

感情をダブらせるだけのニュースの見方は時間の無駄

 筆者が一番ゴミだと思うニュースとその見方は、単純にニュースに対して自分の感情をダブらせる行為である。

 芸能人の不倫ニュースを見ては憤慨し、交通事故があれば悲しみ、震災や戦争があれば鬱になる。そんなニュースを見ることで、マイナスの感情で心を満たす輩の気が知れない。

 そんなことになるならニュースなんて見ない方がマシである。損しかしないんだから。

 そのニュースで扱っている出来事の当事者が「その時どんな気持ちだったのか?」なんてことはどうでもいい。

 それは結局のところその人だけの問題だし、ましてやその人を直接支援するわけでもなしに、ただ画面の前で心をマイナス方向に動かしているだけでは悪影響しか起きない。

 マイナスの感情の人間に相対する他の人に負担がかかるわけだから。

 結局、物事を見る目は「人生のど真ん中を貫く背骨」である。

 自分の生きる方向性が定まっているから、それに対して要不要の判断ができるのである。それがない奴が場当たり的に毎日供給されるニュースに振り回されて、何も行動を変化させないまま、ぐるぐると同じところを回るのである。

 これはほんとうにダサいし、勿体無いことだと思う。

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