プレイ状況
難易度は「Normal」でプレイ中。
戦闘がマンネリ化してきた
ザコ敵との戦闘は、「いろいろ当ててみて弱点を探す」=>「弱点が見つかったらダウンからの一斉攻撃」の繰り返し。
そのフィールドに出てくる敵の弱点を見つけ尽くしたら、あとは同じコマンドを繰り返す作業。これは正直あんまり面白くない。
「絶対勝てる戦闘」になったら、シンボルを殴った時点で「いいかんじ」でSPを使って戦闘を終わらせてほしい気持ち。
まぁたまに操作ミスで「絶対勝てる戦闘」で雲行きが怪しくなったりするけども、それは「嬉しい苦戦」じゃないからなぁ。
ただ作業をあんまり簡略化するとそれはそれで味気なくなるのか。。?
高難易度に挑戦するインセンティブがないのは残念
戦闘がマンネリ化するなら、難易度を上げればいいじゃない!
なんて思ったが、このゲームは内部的にもトロフィー的にも、難易度を上げたことによる報酬はない。
高難易度の報酬を内部的に用意するのは確かに大変だから、せめてトロフィーだけでも「ハードでクリアした」みたいなものが欲しかった。
マダラメの言ってることは納得できるのであまり罰したくない気持ち
芸術はその中身を理解できる人よりも、お金しか理解できない人の方がずっと多いので、どうしてもマスメディアの情報では「芸術=多額のお金」という図式で語られる。
お金が欲しければその図式を利用して、より勝ちやすい投機をすれば「勝利」は手堅い。マダラメはそこを利用した人。
お金の話をしているマダラメと、芸術とモラルの話をしている怪盗団では話が合わなくて当たり前。
カモシダの時よりも、それぞれが立っている立場が違いすぎて、対立になっている感じがしなかったのが残念。
「うどん派かそば派」かみたいな争いみたいで、「それぞれ良いとこも悪いとこもあるよね!くらべらんないよね!」みたいな感想。
ストーリーを追っていて「それぞれが言うことは、まぁその通りだよね」と納得し、なんとも沸切らない気持ちになる。
まぁ物事はそういうもんだけどもね。
しかし、もしもきちんと「お金」と何かを比べるなら相当きちんとやらねばなるまい。
「お金じゃ買えないものもあるんだよ」
なんて1000000回聞いた薄っぺらい説教を聞かされては興が醒める。
少なくともそれを「お金で買われてるヤツ」が言っても説得力を感じない。それこそガチ仙人でなければそういうことを言ってはならない。
「まだ東京で消耗してるの?」
やりたくないことを、やりたくない場所で、やりたくない人とやる。
そんなことをしている人たちが、たくさん電車に詰め込まれて毎日運ばれている。
絶えず欲望を煽られて、それを叶えて、代償にまた働いてを繰り返す人たちも、一応人間なのでそのことに不満を感じる。そんな人たちの不満が「パレス」になるらしい。
相変わらず面白い世界の設定である。
筆者はこんな「暗がりの日常」に取り込まれたくないので、欲望を諦めることで脱出を図ろうとしている。
「つまらない時間を過ごすくらいなら欲しがらない」
これを是としている。
そしてこのゲームのこのシーンは、これを是とすることの背中を少し、押してくれた気がする。
引き続き、「欲望という塩水を飲み続ける生き方からの解放」を目指して頑張っていく。
面白い世界の設定がゲームにうまく溶け込んでいるすばらしさ
『ペルソナ5』は、現実世界のリアルな一部分をうまく切り取って素材にしているが、すばらしいのはそれをちゃんとゲームに落とし込んでいるところである。
ただ現実世界から素材を持ってくるだけでは、このブログのようにただただ説教臭くなってしまう。
現実世界をそのまま見たい人なんていないのである。
『ペルソナ5』は現実世界から素材を持ってきつつも、それをゲームとして遊べるようにアレンジしてある点が本当にすばらしい。
「エンターテイメントとはこういうものぞ」とスゴさを見せつけられた。
「ペルソナ使い」がなんなのか忘れがち
『ペルソナ5』が作る魅力的な世界観は、ゲームの世界を楽しみつつ、現実世界での自分の生き方も顧させてくれる。
『ペルソナ5』の世界を眺めるだけで非常に楽しいが、一方で、完全なフィクションである「ペルソナ使い」の設定はなかなか頭に入ってこないので、すぐに忘れがちだった。
「ペルソナ使い」はおそらく、簡単にいうと、『「自分」を持っていて、かつ、それを他人から守れるヤツ』のこと。
まぁ実際この設定は忘れても『ペルソナ5』の世界は十分に楽しめるけど、繰り返し説明されるということは、覚えておいてほしいことなのかもしれないので、メモはしておく。
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