「久しぶりに会う人」は「普段は会おうとも思わない人」
SNSがあるので本当に会おうと思えば基本的には人と会える
『facebook』や『twitter』などがある今、会いたい人と連絡を取ることはできる。
当然、こちらが会いたくても、相手が会ってくれるかは別の話になるが、「会おうとする努力」はできる。
しかも、その努力は大したことがない。ただ画面をタップしたり、テキストを考えて送ったりするだけでいい。
気軽にできるのである。
「久しぶりに会う人」は会う努力をする価値がない人
楽に人と会うためのツールがある今、それでもその人と会う努力をせずに、相手を「久しぶりに会う人」にしてしまうのは、その人がそういう「会う努力」をするに値しない人だ、としているのと同じ。
なんで昔の知り合いが、「久しぶりに会う人」になってしまうのか。
それは、その人に会う用事がないし、会っても面白くないからだろう。
2年間音沙汰がなければそれはもう「他人」
大体目安として、2年間全く連絡を取り合わずに音沙汰がない人は、もう「赤の他人」になったと言っていい。
お互いに何の必要性も感じないし、全く影響し合わないのだ。そういう人は居てもいなくても同じだ。
だから、たまたま学校や職場などの環境が「知り合い」にさせただけで、それがなくなったらまた「赤の他人」に戻る。ただそれだけの当たり前なこと。
その目安が大体2年間音沙汰がないこと、だと筆者はしている。
コストを払って同窓会に参加する目的がない
お金と時間と体力を支払って「普段は会おうとも思わない人」の近況を聞いても仕方ない
同窓会に参加するのはタダではない。参加費のお金、移動時間を含めた時間と体力のコストがかかる。
そういう貴重なリソースを使って、「普段は会おうとも思わない人」の近況を聞いても仕方がない。
そんなどうでもいい情報のためにリソースを無駄遣いしてはいけない。
人生のリソースは有限なのだから、こういうリソースは無駄に使ってはいけない。
同窓会なんて手段でしか人間関係を維持できない人の絶望
一方で同窓会という手段でしか、人間関係を維持できない人がいる。
実際のところ、普段連絡を取り合わない時点で人間関係の維持などできていないのだが、久しぶりにあったらまた「知り合い」に戻れると勘違いする人がいる。
残念ながら、一度「赤の他人」になってからまた「知り合い」に戻るのは難しい。
それなりに長い時間をかけて、かつ、環境が手助けして「知り合い」になれたのだ。それをたった数時間の同窓会程度で元に戻せるはずもない。
せいぜい、その場限りのそれっぽい人間関係ができて、会の終了と共に「また今度会おう!」なんて言って別れる。そして今度なんてものは結局来ない。
こういう同窓会の虚しさをわかった上でやるのはいいが、こういう虚しいやり取りで人間関係を維持できたと思う人は、人間関係を軽く見ているのかもしれない。
そんな意識じゃ満足できる人間関係なんて一緒作れないだろう。絶望である。
同窓会のコスト事情のための養分になるな
同窓会は人が集まれば集まるほど予算が増えるので、できることが多くなる。
どうせ同窓会の主催者なんて、「いつも集まって遊んでいる仲良しメンバー」なのだ。
そんな奴らが、「いつもと違った飲み会にしたい」、程度のいわゆる「味変」したい欲望で同窓会になるパターンがほとんどだろう。
同窓会を仕切るそんな奴らは、参加する人数が増えれば増えるほど、予算が増えることを知っている。
予算が潤沢にあれば、そいつらの望み通りに「いつもと違った飲み会」にできることだろう。
こういう「自分達の欲望をみんなの欲望にすり替えるやつ」の養分になってはならない。
無限でない自分のリソースは、自分の幸せのために計画的に使う必要がある。
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