「忙しくて〜できない人」が増えてくる30代

「忙しくて〜できない人」が増えてくる30代

 「30代になると体に急にガタがくる」なんていう説をよく聞く。

 筆者は33歳(2023年7月28日時点)だが、体の衰えはないし、むしろ全てにおいて20代の頃より調子がいい。

 思うに、おそらく上記のような説を唱える、「30代になっていろいろダメになった人」は「忙しくて〜できない」ということにまみれてしまった人たちが言っている説であって、そういう人たちが多いから「よく耳にする説」になっているのだと考えている。

 では、なぜ30代になると忙しくなるのか。

 それは「手に入れてあたりまえ」とされているものを、自分の収入や能力を度外視して手に入れるからだと思う。

 子供、新築戸建、車に結婚式。100万越えの出費を求めてくるイベントが30代までに襲ってくる。

 当然、これらは全ての人が手に入れていいものでは無い。それにかかる費用やお金や労働力を捻出できる人だけが手に入れていいモノなのである。

 しかし、「〜才になったら買って当たり前」なんてよくわからない洗脳キャンペーンに釣られて、自分にそれを手に入れる資格があるかどうかを度外視して、それを手に入れる人が多い。

 結果、能力以上の支出を抱えることになり、日々その支払いに追われて、忙しくなるのである。

 「30代になると体に急にガタがくる」のは、生物的な理由だけではなく、そんな不幸な洗脳によって体を痛めつけられた結果であると筆者は考えている。

「忙しくて勉強できない」

 「つみたてNISA」、「ideco」、「ふるさと納税」、「確定申告」など、賢くお金を増やす手段が一般人にもひらかれている昨今であるが、これを利用するためにはそれらの仕組みを勉強しなければならない。

 さらに制度の仕組みを勉強するのに加えて、その制度を取り巻く前提知識も持っておく必要がある。

 例えば、株式投資がお金を産む仕組みを知らなければ、「つみたてNISA」の投資枠だけもらってもまともな投資はできない。さらに「なぜ株式投資がお金を産むのか」ということについては、経済の仕組みを知らないと理解できない。

 所得税や住民税がどういう仕組みで課税されるのかということを知らなければ、「ideco」も「ふるさと納税」も「確定申告」もその必要性を理解するのは難しいだろう。

 つまり、これらの制度を正しく、効果的に利用するためには知識が必要なのである。そしてそれらは自分で時間を使って勉強するしか無いのである。

 幸いにして、今は非常にわかりやすい情報がネットに溢れているが、学ぶ気がなければその情報を取り込むことはできない。「忙しいから」という理由で学ばない姿勢を肯定していては、一生これらの制度の恩恵を受けることはできないのである。

 お金だけでなく、世の中ほとんど全てのモノゴトは正しく利用するために知識を要求してくる。必要な知識を学ぶことをサボるようでは得できないどころか、損をすることになる。

 損が積み重なれば、どこかでそれを挽回しなければならなくなる。それは労働なのか、禁欲なのか、いずれにせよ本人にとって不幸なことになることは間違いないだろう。

 こういう不幸に何年も苦しめられた結果、それが身体の表面に現れ始めるのが30代だっただけのことだと思うのである。

「忙しくて健康管理できない」

 お金に次いで大切なのが、自身の健康である。

 忙しさにかまけてジャンクフードや惣菜、外食ばかりしていては身体は確実に弱る。さらに、忙しいという理由で運動をおろそかにすれば、身体を動かすのもしんどくなるだろう。そういう人が今まさに身体を壊している様は、スーパーでレジを待っている時などに見ることができる。

買い物カゴの中身からわかるその家庭の生活
買い物カゴに「開ければ食べられるモノ」しか入ってない家庭はヤバい レジ待ちをしている時に他の家庭の買い物カゴをよく見ている。 買い物カゴの中身を見れば、その家庭がどんな構成で、どんなものを食べているかがわかるので、面白いからだ。 例えば、買い物をしている人が老人で、カゴの中に、「...

 言うまでもなく、健康管理は時間があるからやるのではない。最優先でやるべきことなのである。

 自分の身体を労わること以上に大切なことなんてありはしない。自分の身体が何不自由ない状態だからこそ、健康な身体を土台に、勉強など幸せを積み重ねる努力ができるのである。

 結局、「30才を越えると身体が〜」とか言う人は、そういやって自分の健康を蔑ろにしてきた結果、30代になって身体がいよいよ耐えきれずに、問題が表面化しただけの話だろう。

 普通に考えて、30代になったらみんながみんな自動的にそんなふうになるわけがない。

「忙しくて〜できない」が破滅への第一歩

 少なくともこの現代日本においては、奴隷制度があるわけでないし、人は理由なく忙しくなることはない。

 個人が処理し切れるタスク以上の仕事を引き受けてしまうが故に、忙しくなるのである。

 じゃあ自分のキャパ以上のタスクなど、お断りすればいいじゃないかと思うが、「前借り」をしてしまった人にはお断りする権利はない。

 すでに料金を先払いで受け取っているのだから、決まったペースで返済するしかない。すでにタスク発生装置を引き受けてしまったのだから、手がかからなくなるまでひたすら面倒を見るしかない。

自分の能力と自分が使えるリソースを把握した上で行動する人は忙しくならない

 自分が忙しくならないようにするための余裕を確保した上で、欲しいモノを吟味して手に入れる分には忙しくはならない。

 キャッシュで手に入るものだけを買えば、「月々の返済」など発生しない。

 「自分以外の子育て人員」がいれば、「ワンオペ育児」なんてしなくて済む。

 個人の忙しさは大抵、自分の能力と自分が使えるリソースを過大に評価した結果に過ぎない。

 しかし、こうやって判断をミスした人が1人、また1人と年々消えていくのは、30才を越えた辛さとも言えるかもしれない。

コメント