『ベーシックインカムちゃんねる』
「市場」での個人が自由に行う競争と「社会」の伝統的価値が個人の自由を奪って社会の維持に貢献させようとする動きが、互いに綱引きをしているのが社会の現象。
自由を重視して「市場」が優勢になれば「社会」が縮小し、自由を制限して「市場」が劣勢になれば「社会」が拡大する構造について丁寧に説明し、現状は「市場」が優勢で「社会」が縮小しているので、これをなんとかするために「社会」がベーシックインカムを撒いて競争を否定してやることが必要だとする論。
非常に納得できる。
まだ動画になっていないコンテンツも以下に書いてある。
ベーシックインカムとしてお金を配れば「物を買える人」が増えるのでインフレになる
お金を配るだけだと、ただインフレになるだけなので、ベーシックインカムで配ったお金が使われる前提で商品の供給量も増やさなければならない。
「卵が先か、鶏が先か」の話になりそうだが、以下のような流れが実現できればベーシックインカムで幸せになれるという目論見。
- ベーシックインカムお金を配る。
- 国民全員がお金を持っているので、それを使って商品を買おうとする。
- この時点ではまだ商品の供給量は増えていないので、商品の価格が上がる。
- 商品の価格が上がるが、その分だけ供給側にお金が入ってくるので、さらに商品を生産できるようになる。
- 設備投資等により商品の供給量が上がるので、商品の価格が下がる。
- 商品の価格が下がったことでより多くの人が商品を買えるようになる。
- 需要の分だけ供給量を増やして、価格が落ち着く。
なんだか良さそうな流れ。
「モノはもう十分にある」と思っている筆者はこの流れにはノれない
一般的にモノやサービスが「市場」に溢れることが「豊か」とされているが、筆者はここにあまりノれていない。
人間の欲望は必ずしも「市場」で解決しなくてもいいと思っているからだ。
例えば、メシは自分で作ればいいし、無理なら料理が上手な友達を作ってやって貰えばいい。必ずしもお金を使わなくても欲望は解決できるんじゃないか、と思っているのである。
むしろ、なんでも「市場」で解決しようとすると、自分も「市場」に多くのリソースを払わなくてはならなくなり、結局「市場」で取引するためのリソースしか持っていない人間になってしまう。「お金はあるけど繋がりは持ってない人」ができてしまう。
もはや「社会」でのつながりを獲得する結婚ですら、「お金が最大の価値」となってしまっているので「市場」の勝者しかできなくなってしまっている。
もちろん「市場」で解決した方がいい欲望もあるが、それに関しては「もう足りてるんじゃないか?」とも思うわけである。
「生産性を向上させる努力」が辛そう
これに関しては筆者のような無能が立ち入る場所ではなさそうだけれども、ベーシックインカムでお金を配った分だけ薄まった貨幣の価値を、供給力の向上を達成して戻すという過程が「大変そうだな」、と思ってしまった。
当然、こういう仕事は「少数の優秀な人と優秀なツール」が行うので、無能はベーシックインカムでもらったお金を握りしめて、インフレが収まるまで家で禁欲生活をしていればいい。幸いにも筆者はこれが得意である。
が、もしそういう優秀な人がおらず、結局のところ生産力の向上のための仕事に駆り出されるようなことがあれば、「面倒臭いな」と思ってしまう。
筆者は自分が楽しむ分のリソースは社会に「すでに十分に存在する」と思っているので、面倒ごとが増えるのは嫌である。少なくとも筆者の寿命が尽きるまでは大丈夫だろうと踏んでいる。
仕事を奪い合うための「無駄な仕事」が減るのは賛成
ベーシックインカムでお金を配れば、「競争のための競争」をしなくても、「供給力の向上」に労働力を集中できるので、実は少ない労働力で供給力の向上はできるのかもしれない。
筆者は、暇な人が増えれば遊べる友達も増やせて、友達と遊ぶことで幸せになれると考えている。
なので、ベーシックインカム後の働き方次第では、そこに幸せな未来があるのでは?と期待してしまう。
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