欲望駆動型世界がなくなると困るのは節約派も同じ

中古市場は欲望を叶えた人の残りカス

 筆者は娯楽の大半を中古市場から手に入れたもので賄っている。

 筆者は欲しいモノは中古市場で、かつ、最安値で手に入れて、じっくり楽しんでいる。

 当然、この中古市場で手に入るものはすべて、誰かが新品で買ったモノである。

 なので、誰かが新品で買ってくれないモノは中古市場に流れてこない。さらに言うと、「新品で大量に売れたモノ」でないと、中古市場で安く取引されない。

 中古市場は新品で買ってくれた誰かによって支えられている。

たくさん作るから安くなる

 さらには、中古でないモノもそれをたくさんの人が買ってくれる見込みがあるから安くなる、という現実がある。

 買う人が2〜3人しか居ないようなモノは、作るコストがかかってしまって、とても手に入れられるような価格にはならない。

 筆者が愛用しているLCCだって、座席の半分も埋まらないのが通常であれば、チケット代はもっともっと高くなるだろう。

 なので、誰しもが節約派になってもらうと、現在の節約派も少し困ってしまうのである。

「欲望の螺旋」に居続けるには価値を提供する必要がある

 しかし、欲望を作っては叶えの繰り返しの「欲望の螺旋」についていくにはあまりにしんどい。

 自分の欲望を叶えたら、その分、他人の欲望を叶えてあげるために働かなきゃいけないから。

 これはお金を稼ぐ能力があればいいが、それはなかなか難しい。もし一時うまく行ったとしても、続けるのは至難。絶え間ない自己研鑽と挑戦が必要になるだろう。

 これはしんどいと思う。いつ「あなたが提供する価値は必要ない」と言われるかわかったもんじゃないから。

 しかし、「欲望の螺旋」に乗れば乗るほど、降りるための精算はしんどくなる。なので降りられない人も多い。

 もう「新築戸建買っちゃった」、「新車買っちゃった」、「子供作っちゃった」、「好きなモノたくさん買っちゃった」なんて人には、「お金を稼がない」と言う選択肢はない。

 そんなことをするよりも、「もっと稼いで、もっと買う」を繰り返してお金を回した方が楽なのかもしれない。みんながそれをやっているうちは。

世界の仕組みに気づいたけど「欲望の螺旋」についていく能力がない人は節約派になるがよし

  

 世界は「欲望の螺旋」で回っている。なので、「欲望を叶えた残りカス」がないと節約派は生きられない。

 節約派は「欲望を叶えた残りカス」をたくさん提供してもらいたいので、節約仲間を募るよりも、むしろ欲望を煽った方が快適な生存環境を作れるのかも知れない。

 が、人が苦しむのはあまり見たくないので、せめてこの記事を見た、「欲望の螺旋」についていく自信のない人は節約派になることを強くお勧めしたい。

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