価格は需要量と供給量で決まる
価格は需要量と供給量で決まる。
需要量の方が多い時に価格は上がり、供給量の多い時には価格は下がる。
「世界に数枚しかない、かつ、これ以上作られないカード」で、それを欲しがる人が多い時には価格は上がるが、「どれほど希少なモノだろうが、誰も欲しがらないカード」は、たとえ世界に1枚しかなくても大した価格はつかない。
これはカードに限った話ではなく、市場で取引されているものに広く当てはまる。
利用料は休日ほど高く、平日は安い
同じ理屈で、休日ほど多くの人が利用する施設は、休日ほど利用料が高くなる。
提供できるサービスは限られていて、それを欲しがる人が多いのだから、価格を上げても買う人がいる。そして価格は買いたい人が出せる一番高い価格まで上がる。
逆に、欲しがる人が少ないなら、誰かが買ってくる一番低い価格まで下がる。
たまにこの理屈がわからなくて、休日の値段が平日より高いことに憤慨している人を見かけるが、別に誰もイジワルをしてるわけではない。
市場原理でそうなっているだけに過ぎない。火を触ったら熱いのと同じくらい当たり前のことなのである。
家賃は都心部ほど高く、郊外は安い
これも同じ理屈だが、誰もが住みたい便利な都心部の家賃は高くなるし、誰も住みたくない郊外の家賃はびっくりするほど安い。
筆者が住んでいた渋谷区と、筆者が住みたい宮崎市の賃貸マンションの家賃相場を見ると、びっくりするくらいの差がある。
もちろん、家賃は表面の価格がただ安ければいいと言うものではないが、同じ間取りの物件でも需要量と供給量でこれだけの価格差が生まれることは認識しておきたい。
本当に「みんなと一緒」である必要があるのか
土日休み、ゴールデンウィーク、お盆、年末年始など、「みんなと一緒」の期間に休み、みんなが住みたい都心部に住む。
こうやって需要量が多く、供給量が少ない環境でお金を使っていては、出費は多くなる。「みんなと一緒」と言うだけで多くのお金を払うことになる。
もちろん「みんなと一緒」の方が便利なこともある。
多くの人が集まる都市部のモノやサービスは、人気が出れば高い利益をあげられるので、より良いものに進化する。さらに買い手がたくさん集まる場所には、売り手もたくさん集まるので、競争により価格も下がりやすい。つまり、進化した良いモノやサービスが安く手に入る可能性もあるのだ。
が、それはお金を減らしたくない「あなた」には「必要」なんだろうか?
たくさん稼ぐよりも「みんなと一緒」をやめる方が楽
たくさんお金を稼げば、もしかしたら今よりも手元にお金が残って、余裕のある生活ができるようになるかもしれない。
しかし、それは誰にでもできることではない。むしろ、それは一握りの人にしかできない。
給料の高い仕事は、それができる一握りの人にしかできない仕事だから給料が高いのである。
また長時間働くことも物理的に難しい。1日は24時間しかないし、体力も無限じゃない。
だから、「たくさん稼ぐ」ということは誰にでもできることじゃない。
一方で、「みんなと一緒」をやめることは誰にでもできる。
みんなが欲しがるモノやサービスを、みんなが欲しがるタイミングで欲しがらないようにする。
たったこれだけのことをすれば良い。
たったこれだけのことで、余計なお金を支払わなくて良くなる。なので、手元にお金を残すことができるようになる。
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