地方のお土産ショップにいるような「やる気のないババア店員」は圧倒的に豊かだと思った話

地方のお土産ショップにいるような「やる気のないババア店員」はお金で動かない

 地方に行くと、なんとなく店を開けているようなやる気のないお土産ショップを目にする。

 そういうショップの店員は、だいたいやる気がないので、客が店に入っても「いらっしゃいませ」の一言もないし、品物を買わせるための接客もしない。

 なんだったら敬語さえも使わない。さらには態度も店員とは思えないほどデカかったりする。どっちが客なんだかわからなくなる。

 筆者はこういう人は「お金から解脱」しているように見えている。なので、こういう態度を咎めることはあり得ないし、むしろ尊敬すらしてしまう。

 別にこの店員は、品物がよりたくさん売れてくれる必要はないのだ。きっと何かの間違いで月に1〜2個の品物が売れてくれればいいし、なんだったら店だって、今この瞬間に畳んでも問題ないのだろう。

 もし生活がかかった商売だったら、もっとたくさん品物が売れるように接客を頑張ったりするだろう。売れなきゃ生きてゆけないのだから。

 もし欲しいモノを手に入れるためにお金が必要だったら、もっと品物が売れるように努力と工夫をするだろう。

 たくさん品物が売れなくてもいい、という態度でいるのは、店の景気に関わらずとも、生きていくために必要な分のモノ、欲しいモノを十分に手に入れることができているからだ。

 こういう人には、いくらお金をちらつかせても無駄だろう。

 別にこちらが持っている金なんかいらねえんだから。

「お金を欲しがる人」にしかお金は使えない

 上記のような、地方のお土産ショップにいるような「やる気のないババア店員」を見て気づいた。

 お金は、お金を欲しがる人にしか使えないのだ、と。

 お金では、「別にお金なんていらないけど?」みたいな人には、敬語の一つも使わせることができないのである。

 都会のショップがお金をくれるお客に対して気持ちのいい接客をしてくれるのは、そこが「お金が欲しい人」が集まって、より多くのお金を手に入れたいと活動している場所だから。

必要な分以上を欲しがらない人はお金のために動かない

 筆者が見た、地方のお土産ショップにいるような「やる気のないババア店員」のように、「自分にとって必要な分のモノ」を手に入れるお金があって、かつ、それ以上を欲しがらない人は、お金のために動く理由がない。

 こういう人に「お金出すんだから気持ちよく接客しろ」なんてクレームは全くの的外れである。だって、その人にとってお金はもういらないんだから。

 むしろ、「お金を出す立場の方が強い」と考える人ほど、お金が欲しくて欲しくてたまらない人だということがわかる。

 きっとその人は、お金に「人をコントロールできる力」があると思い込んで、自分自身も日々お金にコントロールされている悲しい人だ。

お金以外でモノを手に入れることができる人もお金のために動かない

 お金以外で自分が必要なモノ、欲しいモノを手に入れられる人も、お金のために動く必要はない。

 こういう人はお金を介さなくてもモノを手に入れることができるからである。

 パトロンやフォロワーなどの支援者がいる人がこれに当たる。

 こういう人はお金そのものに価値を置く必要はない。なので札束を積まれても冷静でいられる。

 一方で、モノを提供してくれる支援者に対しては、気を使わなければならないだろう。

お金持ちはみんなが「お金を欲しがる人」でいてくれないと困る

 「お金があればなんでも上手くいく」。そんな分に安直に考えると足元を掬われる。

 お金を使った取引はあくまでも「交換」なのだ。相手が「お金はいらない」と言えば取引は成立しない。

 お金をたくさん持っているお金持ちは、みんながお金の価値を信じてくれないと困る。たくさん集めたお金が無価値になってしまっては、苦労した甲斐もないから。

 自分が貯め込んだお金の価値を保全するためにも、自分の取引相手がお金を欲しがるようにしておかなければならないのである。

 そのために「多くの人の欲望を刺激するあらゆる試み」に投資するんだろう。

 より多くの人が欲しいモノを買うために、お金が欲しいから頑張って働くように。

 より多くの人がお金が無くて不安になって、焦るから頑張って働くように。

より多くの人が頑張って働くからお金は効率的に使える

 欲望を刺激され、お金がない状態にされた人たちは、お金を得るために頑張って働くようになる。

 こうなると、みんながより良いサービスを開発するようになる。

 他よりも新しく、他よりも便利に、他よりも安くなど、サービスがより売れるために、日々あらゆる工夫をするようになる。

 こうなると少ないお金でより良いサービスを手に入れられるようになる。

 一方で、世の中の店の全てが「地方のやる気のないお土産ショップ」だったらどうだろうか?

 多額のお金を払ってもいいサービスなんて受けられない。きっと、こちらが欲しいと思うモノだって店に並ばないだろう。

 こうなると多くお金を使ってもいいサービスなんて手に入らない。

 モノやサービスを開発する人が、お金が欲しくてたまらない状態にないと、自分が持っているお金の交換価値が激減してしまうのである。

 お金を貯め込んだ者にとってこれほど恐ろしいことはない。

お金が使えるようにするために欲望に駆られて生きるのは辛そう

 そうやって誰かのお金の価値を守るために、別に欲しくもなかったモノを欲しいと思わされる人は本当にかわいそうだ。

 一方で筆者も、どちらかというと「お金を使わずに貯め込んでいる派」なので、お金の価値が保全されるような試みには賛成だ。ただし、自分だけはその洗脳にかからないように努力はするけども。

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