少ないお金で楽しく暮らせるほど「お金のために働くこと」がバカらしくなる

ここ4年間は毎月14万円以下で毎日楽しく暮らしている

 2019年から2024年まで東京都とその周辺に住んで、毎月の支出は平均で14万円以下で済んでいる。

2023年の生活費から「FIRE」までの道のりを確認する
2023年の生活費  共働き夫婦の二人暮らしなので、家賃などの固定費は折半している。 固定費  固定費については「筆者の個人の固定費」である。 固定費リスト 項目 金額 一人当たり月額金額 備考 家賃 ¥130,000 ¥65,000 家賃保証料 ¥10,220 ¥426 年に1...

 しかも、消費生活においては特に何も我慢していない。必要なモノはいつでも手に入れられるし、欲しいモノは工夫してほぼ全て手に入れている。

 それでいて、仕事はかなり大変だが毎月40万円近くを稼いでいるので、安心感もハンパなくある。仮に仕事を辞めたくなってもしばらくは大丈夫である。

必要なモノはそもそも安い

 一般的に「生活していくのは大変!」と言われているが、このセリフには大抵、「生活に必要ない消費」も含まれている。スーパーに通っていればわかることだが、食費など、生きていくのに必要なモノの値段はそもそも安い。(当然「外食」の贅沢品は含めない。

 生活に必要なモノは、それ自体の性能は頭打ちなので、基本的には進化しない。明日からいつも買っている「豚バラ肉」に新しい機能が追加される、とかそう言うことはない。必要なモノは、性能ではなく、安定供給と低コスト化を目指して進化する。

 これが意味するところは、日々値段が安くなることだ。

 必要なモノはそれ自体で人のニーズを満たしているので、「外食」のおしゃれ雰囲気代みたいな「余計な付加価値」をつけなくていい。必要なのは毎日安定して、かつ、安価に手に入れられることなので、それを実現させる努力をすれば、生産にかかる労力や生産ロスなどのコストカットが自ずとできるので、値段は日々安くなっていくのである。

 現在の日本(執筆時点)では必要なモノが各社の企業努力によって安価に、安定して手に入れられるのである。こんな幸せなインフラに囲まれて本当に嬉しい限りである。

欲しいモノは工夫して安く手に入れる

 筆者にも必要ではないが、欲しいモノは当然ある。それを手に入れるために払うお金の合理性を他人に説明できないけど、欲しくてたまらないモノはある。

 ただし、こういったモノを手に入れる時に、発売日に新品を定価で買う、なんて馬鹿なことは絶対にしない。その必要がないモノは十分に時間が経ってから、中古やアウトレットで、格安で手に入れることを考える。

 さらに、欲しいモノを手に入れるときは、「衝動的に買う」と言うこともしない。欲しいモノを手に入れるときは、手に入れてから手放すまでの計画を立てる。

 いつまでに、どこで、いくらで、どのくらいの状態まで許容して買うか、また、それを売ったときにいくらになるか、と言うことを考えて、調べ上げてから買う。

 「ウィンドウショッピング」などと言う、衝動買いを誘発する貧乏人の愚かしい行動は絶対にしないのである。全ては計画のもとに買うのである。

必要分以上のお金を頑張って手に入れるバカらしさに気づいた

 仕事は大変だし、そんなに面白くないが、毎月「有り余る富」をくれる。

 1ヶ月必死に働けば、向こう2.5ヶ月は働かなくても済むような収入は確かに安心だが、これを続けるのは本当にしんどい。しかも、安心を積み上げることに終わりはない。持ったことはないが1億円だって使えばなくなるわけだし。きっと無計画にこれを続けていては、積み上がった安心の壁の前で疲弊して死ぬと思う。こうなっては何のための安心だったのかわからない。

 なら1ヶ月ゆるく働いて、その1ヶ月を楽しく暮らす方が人生楽しいのでは、と考えた。

 これまで積み上げてきた安心はそのままに、あとは毎月必要分だけゆるく働いて稼ぐ、そのために無駄な支出はしないようにする。

 これでいいのでは?と近頃は本気で思っている。

2024年5月28日追記:仕事はやめました

 当然、FIREとかではないが、いろんなことが重なって上記執筆時点でやっていた仕事はやめた。現在は専業主夫でそのうちまた働く。

専業主夫ことはじめ
訳あって仕事を離れることになった  筆者は元来、会社で働くのが嫌いだった。  小学生の頃から、テレビや映画で大量のスーツを着たサラリーマンが街を歩いている映像を見るだけで、気分が落ち込んだのを覚えている。大学を卒業してサラリーマンになってみ

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