「人生を楽しめる残り時間」で生き方を考えないと手遅れになる

楽しく生きられる時間は限られている

 「人生100年」なんて言っても、100年間ずっと楽しく生きられるわけではない。

 個人の趣味にもよるが、体を動かして遊ぶようなことができるのは、せいぜい30代くらいまでが限界だと思う。少なくともそういう趣味を始めるには、30代からやっておかなければ、40代以降も続けることはできないだろう。きっと体がついて行かない。

 加齢と共に、体の性能に加えて、脳の性能も下がると思われる。

 70代の老人に実際に話を聞いてみたところ、30代の頃と比べると、「いつも疲れたような感覚」や「すこし酔っ払っているような感覚」があるらしい。

 これでは、頭を使った遊びをやるのは難しそうである。

 このように、加齢と共に頭と体が劣化していくと考えると、死ぬまでの残り時間で、自分のやりたいことをやって、かつ、それを楽しめる時間はあまりに少ないように思う。

 とりあえず、頭と体を使った趣味をするための土台作りは30代までで終了すると考えていい。

 40代以降はその土台に基づいて、衰えないようにするくらいが限界だと見積もっておく方が絶望しなくて済むかもしれない。

「老後」は楽しくないなら必ずしも守るべき時間ではない

 「ただその年齢まで生きてる」、というだけで「老後」を心配する人があまりに多い。

 しかし、頭と体が劣化して、自分のやりたいことが満足にできない時間になってしまう「老後」は、果たして今コストを払って守るような時間なのか?

 確かに、「老後」はお金を稼ぐ手段がなくなるので、それまでに蓄えないと、「なんだか悲惨な生活」が待っていそうな気がする。それは確かにそう。

 しかし、そのために今をどれだけ犠牲にするのか。

 その犠牲は老後の安心を得ることで納得できるのか。

 今一度考えたい。

人生は自分が楽しみたいことができる残り時間で考えないと「つまらない時間」だけが残る

 個々人によって楽しみは違う。

 筆者は、格闘技、ゲーム、ギター、プログラミングを趣味としているので、頭と体が劣化すると人生を楽しめなくなる。

 これらの趣味が、「やればやるほどうまくなる」のは30代までだと考えている。

 そこから先は、「なるべく衰えさせないで続ける」程度にしか考えていない。それはそれで楽しいのかもしれないが、この年齢からはせいぜい「オマケ」だと考えている。

 なので、歳を取れば取るほど、今やっている趣味で得られる楽しさは減ると思う。

 そんな残り時間に大した意味を感じない。今を犠牲にしてまで「守るべき時間」だとは思えない。

自分の「楽しさピーク」がどこにあるのか考えて生きた方が後悔しない

 筆者は、「頭と体のフレッシュさ」がものをいう趣味を持っているので、「人生の楽しさピーク」は「若いうち」ということになる。

 年齢に左右されない、むしろ年齢が上がった方が楽しい趣味もあるだろう。そういう人の「人生の楽しさピーク」は「歳を取ってから」ということになりそうだ。

 このように、自分が楽しんでいるものが「いつまで楽しめるか、いつが一番楽しいのか」ということを考えないと、それを過ぎてしまった人生は後悔だけが待っている。

 お金などのリソース獲得は大事だが、そのリソースを使う自分のことも気にかけてあげたい。

 「あなたは何をしている時が楽しいの?」と。

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