手持ちのお金を一生懸命3割減らす人たち

オートレース場は汚さがハンパない

 wikipediaによると、「1952年開設」とあるので建物はだいぶ古い。

 建物がそのまんまできた当初の姿ということは当然ないが、71年前からある施設ということになる。

 なので施設内は本当に汚い。

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 売上の内訳を見ても、車券をオートレース場で買う人はそれほど多くないというデータがあるので、「お金をかけて施設をきれいにする」ということよりも、ネット販売を促進させるための広告だったり、レースのライヴ配信設備への投資をする方が優先度は高そう。

オートレースの還元率は70%

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 オートレースの還元率は70%と、公営ギャンブルの中ではワースト3に入る低さ。

 

 還元率とは以下の通りの統計的な数字。回数をこなすと上記の還元率の数字に収束していく。

ペイアウト率(還元率)とは、「多くの回数遊んだ時、平均して1回に得られる利益率」を表した数値で、プレイヤーがかけた金額のうち何%が手元に帰ってくるかという割合になります。

 とはいえ、「スポーツくじ」と「宝くじ」は「買ったらそのお金が半分になる」というえげつない還元率の低さである。

ギャンブルを楽しむにはお金さえ持ってくればいい

 ギャンブルは楽しむのに資格や鍛錬や知識はいらない。お金を持っていけばそれでいい。

 だからどんな人でも挑戦することができる。

 誰でもできるから、そんなに複雑じゃない。

 実際にオートレースでやることはお金を掛けるだけ。勝馬を予想するなんて話もあるが、そんなもんはあくまで頭の悪い人の思い込み。正確に予想できるなら商売としてオートレースは成立しない。ただの競技になるだけ。

 オートレースはゲームとして、還元率を70%に設定されているので、挑戦回数が多くなれば手持ち金額は70%に減ることになることは間違いない。

 1発当てて市場から退場すればこの限りではないが、そんなことはきっとできないだろう。

 勝てば「もっと儲けよう」と欲を出して市場に残り、負ければ「負け分を取り返す」とやはり市場に残る。

ギャンブルは手元に何も残らない

 ギャンブルの残念なところは、お金を使っても「楽しい」以外に何も手元に残らないところである。

 買い物ならば「楽しい」以外に商品が残る。スポーツならば「楽しい」以外に体力がつく。読書なら「楽しい」以外に知識が増える。

 ギャンブルは残ったとしても負債だけである。

胴元以外では予想屋が勝者

 オートレース場で「予想屋」と呼ばれる胡散臭いおっさんが唾を飛ばしながら、自身の予想を大声で叫んでいた。説を全て聞いたわけじゃないが、「予想」は商品なので、さわり部分を大声で叫んで本筋にはお金を取る戦略なんだろう。

 当たる保証もない「予想」に値段がついて売れるなんて本当にすごいなぁと思った。

 オートレースにかけている人はみんな「所持金が7割に減る敗北者」だが、「予想屋」だけは自分の思いつきをしゃべってお金を生み出せるから「コスト0で無限に商材を生み出せる勝利者」だと思った。

社会にとっては「お金がない状態の人」がたくさんいた方がいい

 お金が十分にある人は「身を粉にして働く」なんて過酷なことはやらない。

 社会に必要な過酷な労働をこなしてくれる人は「お金がない人」しかない。

 また、お金の価値を保つためにも、社会のみんなが「お金が欲しい状態」でないとならない。

 お店に行っても「は?金なんかいらねぇよ」と突っぱねられたら、お金持ちは困ってしまう。せっかくたくさん集めたお金が使えないなんて、こんなに残念なことはない。

 ではどうやって社会の多くの人を「お金がない状態」にしておくかというと、こういうギャンブルもその策の1つだと思う。

 いやぁ残酷だわ。

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