「前借り」は逃げ道を塞ぐ
死ぬくらいなら逃げた方がいい。身体を壊す前に休んだ方がいい。辛いならその環境から離れた方がいい。
こういう、言われすぎて全然心に響かない「スローガン」的な文句をよく聞く。
これは確かにその通りだが、苦しんでいる人の多くは「そうできない状況」があるから苦しいのである。
逃げられない理由はいくつも思いつく。
おそらくはどれも「そこに留まることで得られる利益」が理由だろう。プライドとか、お金とか、人間関係とか。
とはいえ、心身を壊したり、ましてや死んでしまえばそんな「利益」はカスにも等しいゴミになる。
そう考えて逃げられるならいいが、「前借り」してる人はそう単純には行動できない。
借金や子供がいなくても過労死するまで働くのか?
「前借り」とは、広い意味での借金である。
単純に「今いくら借りている」と言う話だけではなく、養育費や必要であれば親の介護のリソースもこれに含まれる。
途切れることなく、遠い将来にわたってリソースを支払う必要がある人は「前借り」をしているのである。
こういう人は、辛い状況にあっては「そこに残ることの辛さ」と「そこから逃げた後の辛さ」を天秤にかけるだろう。
借りたものには利子がつくし、毎月一定量の支払いが必要である。これを怠るとそれはそれで悲惨な目にある。
さらに辛い状況は人の判断を鈍らせる。
結局は「最も危険な現状を維持すること」を消極的に選んで、大ダメージを負う。最悪死ぬ。
しかし、「前借り」がないなら辛い状況に差し掛かった瞬間に、乗るか降りるかの選択ができる。大ダメージを負う前に逃げられるのである。
本当は誰もがそうしたいだろう。が、「前借り」勢にはそれはできない。
首根っこを掴まれながら感じる「一時の幸せ」が恐ろしい
一昔前まで「普通の生活」とされていた生活を実現するためには、個人が築き上げる資産だけでは、「前借り」をせずに生きていくのは難しい。
「複数人の子供」、「車」、「家やマンション」などを欲しがってしまえば、「選ばれし者」以外は「前借り」に頼らざるを得ない。
確かにそれらの「普通の生活」は支払いが続く限りは「一時の幸せ」を提供してくれるだろうが、それは同時に「支払いの約束」から常にプレッシャーを感じる生活でもある。
確かに「遊びに行ったその日だけ」は楽しい。
しかし、そのコストを支払うための辛さはハンパない。
そして一般的にはそれが20~35年くらい続く。
こんな恐ろしい状況じゃ筆者は「一時の幸せ」ですら怖くて楽しめないだろう。
「許さない」やつはどうなったのか
「過労死」などの組織の問題は、組織の個人が「許さない」と声を上げたところで、問題にすらならないケースが多々ある。
筆者はこの現実を良しとしていないが、個人が組織と戦う時の無力さやそのコストの高さから、筆者は戦うことを選ばずに逃げることを選ぶようにしている。
先にも言った通り、「前借り」していなければ気軽に逃げられるのである。
しかし、「人生を使った捨て身の特攻をする個人」がたまには出てきて派手に戦わないと、個人は組織にナメられっぱなしになると言うのも事実。
筆者はそんなことはできないが、陰ながら応援したい所存ではあるので、遺書の「許さない」の顛末は気になる。。
参考:【過労死】なぜ労働時間が減っても精神障害による労災が増加しているのか?働き方改革の“ゆがみ”とは【クロ現】 | NHK
結論:労働時間が減っても業務量は減ってないから。
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