「自己責任論」を押し付ける派も否定する派も弱者には厳しいと思った話

「自己責任論」をめぐるそれぞれの主張まとめ

 「自己責任論」を押し付ける派の主張は概ね以下の通り。

  1. 弱者の境遇は、本人自身の努力や工夫によって作られるから、その境遇に不満なのは自分のせい。
  2. 自分の行いのせいで苦しい立場にいるのだから、それは自力で救済するべき。

 一方、「自己責任論」を否定する派の主張は概ね以下の通り。

  1. 弱者の境遇は、100%本人の思い通りに行動した結果ではないので、その境遇も100%本人のせいとはいえない。
  2. 弱者が苦しい立場にいると、弱者は死をも顧みずに暴れ出し、それは社会全体の損失になるから「自己責任だから見捨てる」というのは危険。
  3. 社会の構造上、誰かの労働力がないと自分の資本は役に立たないのだから、労働力でいてくれる人をいっときの経済状況を理由に「自己責任だから死んでもしょうがない」と切り捨てると、資本を持っていても苦しくなる。
  4. 自分もいつ弱者になるかわからないのだから、そうなった時に「死ね!」と言われる社会は嫌なので、救済したい。

 だいたいこんな感じの「自己責任論」をめぐる議論、というか「声の上げ合い」がネットで巻き起こっているような体感。

どちらも境遇に苦しむ弱者ではなく自分の立場を守りたいだけ

 「自己責任論をめぐる議論」を上記のようにまとめると、どちらの主張も弱者にとっては残酷である。

 「自己責任論を押し付ける派」は、直接的に弱者に厳しく、「生きられないなら死んでしまえ!」と自分のリソース大事さに叫ぶ。

 資本主義社会の構造上、長期的に見れば「自己責任論を押し付ける派」も自分の主張で自分も死ぬことになるが、短期的には自分のリソースが額面上は保全されるのでよしとしているように見える。

 確かに自分の寿命が短かったり、自分のポジションが弱者からの搾取に依存するポジションならこの主張をしたほうが得になると思う。

 一方、「自己責任論を否定する派」も結局のところ自分の資産やセーフティネットの保全のための主張である。

 弱者はとりあえず死ななければ良いというだけで、弱者が生まれる構造については改善を求めない。

 自分の安全のために、弱者が暴れ出さないように、無残な死に方をしないようにしていきたい、と言っているに過ぎず、弱者が存在することには大した関心はなさそう。(まぁこれに言及すると議論の方向性が変わるからかもしれないが)

 この議論を通して、どちらにおいても「弱者は利用されるだけ」だと言うことはわかってくる。

弱者が自分の希望を主張するとおそらくどちらの派閥もキレ狂う

 「自己責任」をめぐる両者とも、結局のところ、短期的にか長期的にかの違いはあれど、「自分のポジションを守りたい」という思いがモチベーションになっていることに違いはない。

 そういう構造の議論の中で弱者が「オレ、貧困も嫌だけど、辛い仕事もイヤっす!できればすごく軽い、楽で、かつ、安定した労働で今の生活レベルを維持したいっす!でも頑張るには限界があるっす!」とか申し出よう者なら、両派閥に「てめぇは黙ってろ!」とボコボコにされるだろう。

 結局のところ、「自己責任論」における弱者は、まるで動物のような者である。声を上げられない弱者をどう取り扱うかは強者の側が一方的に決める。強者が考えることは「弱者をどう飼育するか」であって、「弱者がどう幸せになりたいか?」なんてどうでも良いのである。

 当然、弱者にも望みはあるし、嫌なこともだいたい人並みに嫌がる。しかも、望みが叶わず、嫌なことを強いられる原因が社会の構造にある場合、不本意でも望み通りに生きていくことはできない。しかし、その不満が聞いてもらえない状態になるのが弱者なのである。

 弱者側もこの構造を把握しておかないと、「どちらに転んでも辛さは変わらない」という現実に気付くのが遅れる。

弱者がお金を否定してやればどちらもやっつけられる

 こういう状況において、現状が苦しい弱者が、自分が弱者でなくなるためにすることは、「利益構造からの脱出」だと、筆者は常々考えている。

 要するに「お金がないから弱者」なわけで、今弱者とされている人たちが、お金を使わずに楽しく、無事に生きていれば、「自己責任論」をめぐるどちらの派閥のエゴも跳ね除けることができる。

 自分が弱者にしかなれないゲームはさっさと降りて、自分が今のままでしっかり生きられるゲームを新たに始めるしかない。

 弱者が集まって自分達が必要な分を可能な限り生産、共有し合うコミュニティを作って生きれば、今弱者とされる人達の多くは弱者ではなくなる。

 経済的に困窮している人がこのような動きをすれば、微妙にお金は持ってるけど、友人、家族、交換相手などの人脈は全く持っていない、というような人こそが今後は弱者となっていくだろう。

参考

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