鈴木大介著『最貧困シングルマザー』感想メモ

本書について

目次

【目次】
プロローグ
第1章 売春に至る凋落
第2章 売春婦にもなれず
第3章 絶対的に持たざる者
第4章 残酷な類型化
第5章 福祉を「拒絶」する母
第6章 出会い系での売春事情
第7章 隠れ破綻と不正受給
第8章 寂しさと貧困のはざまで
第9章 母
あとがき
●文庫版あとがきに代えて
――「最貧困シングルマザー」のいま

貧困からの脱出には犠牲が伴う

 貧困に陥っても、生活保護や母子家庭への手当などの公的支援が存在する。

 しかし、それらを手に入れるためには、なんらかの「犠牲」が伴うらしい。

民生委員の無理解

 児童扶養手当などの受給の可否を決定する過程で、民生委員との面談があるらしい。

 この民生委員の面談において、「背景を理解しない、心無いことを言われる」、「状況に則さない提案をされる」などのことが、シングルマザーにとっては重荷らしい。

養育費は善意に過ぎない

日本では、母子家庭への養育費の支払いについて、4人に3人が未払いとなっています。 また、母子世帯の平均年収は243万円となっており、養育費未払い問題は、母子家庭の貧困率が高止まりしている理由の一つでもあります。

 離婚したから養育費がもらえるので、とりあえず子供の生活費等は確保できる、ということはないらしい。

 ほとんどの場合は、養育費は支払われずにバックレられてしまう。

仕事がない、給料安い

 子供をシングルマザーが働きながら育てていく、ということも難しいらしい。

 そもそも子供を育てながらでは、労働時間を確保できない。雇用主もそのことを承知しているので、あえてシングルマザーを雇うことは、事情がなければしないだろう。

 そして、シングルマザーは職にありつけないばかりか、その給料も安い。

 確かに、労働時間が短いし、子供が優先の労働スタイルでは重要なポストを任せるわけにはいかないだろう。

 元々「貴重な職能を持っている」とかでなければ、少ない労働機会と給料を許容しなければならない。

不正受給対策に役所の窓口のガードが固いのと監視されるウザさ

 働いても生活していくに足る給料をもらえないなら、生活保護を受給するのも手だが、これにも「犠牲」を払わなければならない状況があるらしい。

 そもそも生活保護の申請を受け付ける役所の窓口で、あれこれ質問攻めにして「生活保護を渡さないようにする」ことがあるらしい。

 さらに、生活保護が受給できたとしても、地域から常に「不正受給」を疑われて監視されることもあるらしい。

なので、もし生活保護を受給しながら「嗜好品」を手に入れようものなら、役所にタレコミが入ってしまうこともあるという。

生活保護を受給していると婚活に支障が出る

 シングルマザーを脱出するために、婚活に活路を見出す場合もある。

 しかし、昨今は女性側にも年収が求められるため、生活保護を受給していて働いていない、もしくは生活保護費程度の収入しかない場合は、婚活市場では相手にされないらしい。

 なので、「今は収入が低いけど、とりあえず働いていればキャリアアップして収入が増えるかも」や「収入は低いけど、生活保護費よりは多少稼げる」ということで、生活保護はあえて受給せずにいる戦略もあるという。

危機的な状況においては優先順位付けが大事

 お金や人間関係、職能など「生きていくリソース」に乏しい状態でシングルマザーになってしまっては、貧困に陥ってしまう。

 貧困という危機的な状況から脱出するためには、「全方面において満足」という道はないのかもしれない。

 なので、何かの辛さをなくす代わりに、別の辛さを背負うということ「トレードオフ」が必要になる。

 安くてきつい労働から解放されるために、生活保護を受けて、日々地域から監視されながら過ごす。

 一時的に子供を施設に預ける寂しさを許容して、その間に働いてお金を作るなり、婚活をする。

 貧困からの脱出には何かしらの「犠牲」が伴ってしまうのである。

冷静でいられなくなることが貧困の入り口になる

 貧困から脱出するための「残酷なトレードオフ」を避けても状況は当然に好転しない。

 むしろ避ければ避けるほどにトレードオフの選択肢は減っていく。

 生活を好転させられないくらい安い賃金の労働とワンオペ子育てで日々消耗し、年齢は日々上がるので再婚はできず、そのうちに仕事の機会も無くなって生活が立ち行かなくなる。

 こうなると、人間は冷静でいられなくなる。

 冷静でなければ、トレードオフの選択もできなくなる。今自分がやっていることは「何と何のトレードオフなのか」ということを計算することすらできなくなるからだ。 

貧困に陥った人を虐めると個々人が予防線を張りまくる社会になる

 こういう貧困に陥った人を社会が虐めると、個々人は「自分達の生活を守るための予防線を張ることに必死な社会」になってしまう。

 こうなっては「自己責任」で他者を断罪し、個々人は自己防衛に必死になって孤立していく。

 そして、社会に断罪された弱者たちは、「豊かな者」が人生をかけて張った予防線を壊して奪ったり、「さらに弱い者」からわずかしかないリソースの最後の一滴まで搾り取るようになる。

 どこかで許しあい、悲惨な目に遭う人を減らしていかなければ、恐怖とリソースの奪い合いが横行する社会になってしまう。

「予防線」を張りまくっている私

 自分の生活は自力で成り立たせるモノ。それができなければ悲惨な生活が待っている。

 今日に至るまで、家庭や学校など、さまざまな場所で言われてきた。

 「誰も助けてくれない」から「できない、やれないという責任は自分で取れ」と。

 「そういうことなら自分の生活だけは守ってやる」と今日も必死に生活が壊れないように「予防線」を張っている。

 自分の幸せな生活を守るために、「失敗した他者」を助けることはしない。

 失敗した理由を聞いて、「自己責任」を当てはめられる原因を探して、失敗した人を断罪し、自分から遠ざけている。

 しかし、こうやって自分だけの生活が守れても、その生活が載っている「社会という土台」が荒廃しては、いずれ自分の生活も崩れていく。

 しかし、個人では自分の生活を守りながら他者を助けることは難しい。

 自分が投げ出すリソースで他者を救い切れるわけでもないし、リソースを投げ出した自分が救ってもらえるとも限らない。

 なので、当面は自分の生活は「失敗した他者」を切り捨てても最優先で守りつつ、社会が「失敗した他者」を断罪することにはNOというようにしたいと思った。

コメント