「核家族スタイル」で子育てをすると夫婦でリソースを奪い合うことになる悲しさ

核家族スタイルで子育てをすると忙しい

6:00  起床、身支度、洗濯
6:30  朝食の用意
7:00  朝食
7:30  片付け、子どもの登園準備
8:00  夫と子どもの見送り、出勤の準備
8:30  出勤
9:00  勤務開始
12:00  休憩
17:00  退勤
17:30  保育園へお迎え
18:00  帰宅、買い物、自分と子どもの持ち物の片付け
18:30  夕食の用意
19:00  洗濯物の片付け、子どものお世話
19:30 夕食
20:00  夕食の片付け(夫と子どもで入浴)
20:30  保育園の準備
21:00  入浴(夫が子どもの寝かしつけ)
22:00  翌日の準備、自由時間
23:00  就寝

出典:

共働きの子育て世帯のスケジュール。1日のタイムスケジュールや調整の仕方 - KIDSNA キズナシッター
共働きの子育て世帯では、1日をどのようなスケジュールですごしているのでしょうか。今回は、子育てをしている共働き家庭のタイムスケジュールと、スケジュール調整のポイントや秘訣、スケジュール調整が難しいときにサポートを依頼した相手について、ママやパパたちの体験談を交えてご紹介します。

 筆者が会社員をしていた時代にも、子育てをしている同僚とたくさん出会った。

 だいたいみんなこんな感じのスケジュールで出勤と退勤をしており、「自由時間」というものがおおむね21時以降から寝るまでのわずかな時間であるということを聞いていた。

 このスケジュールをみると、夫婦2人で子供を育てる「核家族スタイル」では、子育てにかかる負担が大きいことが具体的にわかる。

 しかも、これは仕事と子育てが安定している時期の話であり、自由競争が前提の現代日本社会では「今就ている仕事」をいつまでも続けられるという保証はない。会社にとって、市場にとって必要がない人間になれば、収入は減り、職だって失う。

 自分が市場で価値のない人材になってしまった場合は、これ以上の忙しさが待っている可能性がある。

 つまり、「核家族スタイル」での子育ては、安定していても忙しいし、不安定な時期になれば目も当てられないしんどさが待っているのである。

夫婦共にやりたいことをやるためにリソースを奪い合う

 夫婦とはいえ、「仕事と子育てだけしていれば人生大満足」ということはない。

 それぞれ独立した個人として、やりたいことはいくらでもある。しかし、仕事と子育てをしていれば、それをやるには時間、体力、時には金というリソースが不足する。

 やりたいことを末長く我慢できる人はおそらくいないので、夫婦はリソース不足を解消するために動き出す。

 最も簡単なリソース不足解消の方法は、夫婦が互いにリソースを奪い合うことである。

 「週末に遊びに行きたいから、予算のを確保して遊ぶ金を作り、子育てを押し付けて時間と体力を確保する」

 それは一見公平な交代制でやっているので、文句は出ないように見える。確かに短期的には公平でいられるかもしれない。

 しかし往々にして、夫婦の公平そうな交代制は長期的に見ればどちらか一方がリソースを奪い、一方が奪われる形になる。そして積もった不安は爆発し、「なんで私ばっかり。。」という怒りが生まれる。

 本当によくみる夫婦の悲しい光景である。

「大家族スタイル」は煩わしさはあるがリソースの奪い合いは起きにくいかもしれない

 筆者は二世帯住宅の「大家族スタイル」で育った。

 住宅は祖父母のものだったので金銭的には余裕があったし、大人4人が子供の面倒を見れる状態だったので親夫婦は自由に遊べる時間と体力があった。

 思い返せば、親夫婦が遊ぶためのリソース調整をしているところを見たことがない。結構いきなりどこかに遊びに行くというのが当たり前だった。

 「あれ?今日母さんいないの?じゃお婆ちゃんのとこでご飯食べるか」という父親の姿をよく見ていた。

 このようにリソース的には潤沢であった「大家族スタイル」の我が家だが、大人同士は割とよく小競り合いをしていた。

 まぁ最大でも怒鳴り合う程度で済んでいたのでまさに「小競り合い」程度だが、これは「核家族スタイル」の家庭ではもしかしたら起きにくい現象なのかもしれない。

 こういう「大人の数だけ小競り合いが起きる家族」は煩わしいものなのかもしれない。

夫婦は絆を育むべき最も近しい相手であってほしい

 「核家族スタイル」で子育てをすると、遅かれ早かれ夫婦はリソースを奪い合うと思っている。

 そういう関係になった夫婦は互いに絆を育むことができない。

 「自分の欲望のためにどうやって相手のリソースを奪ってやろうか」、「これ以上リソースを奪われないようにするためにどう自己防衛していくか」なんてことを考えてしまう。

 このように相手を見ている夫婦が互いに絆を育むために、語り合ったり、共に何かを体験したりなんてことを積極的にするはずがない。短期的には魅力もないし、自分の欲望の成就とは関係ないから。

 これじゃなんのために夫婦になったのかわからない。互いが積極的に子育ての奴隷、欲望の奴隷に成り下がるような関係は、夫婦共に望むところではなかったはず。

 だけど、多くの夫婦がそうなっている現実がただ悲しい。

 少なくとも我が夫婦はそうならないようにしたい。子供を作らないという方法で。

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