世界的な「時間奪い競争」が個々人のリソースを枯渇させる
人の耳目を惹いて初めて商売になる。
商売はほとんどの人にとって必要なことなので、皆、あの手この手で人の耳目を惹きつける術を日々開発し、実践する。
そんな「注目集めの玄人たち」が日々鎬を削っていると、その技術は洗練されていく。そして、それが世界規模で行われているんだから、その手法の進化は凄まじい。
筆者は、「時間、集中力、価値観、お金」という貴重なリソースを守るために、「自分で選べるようにする環境づくり」に日々力を入れているが、頑張って作った防壁でも完全には「注目集めの玄人たち」から身を守ることができていない。
簡単に楽しめるものは簡単に記憶から消える
「多くの人が楽しめるもの」は内容が薄い。
人間の性能は一定ではなく、偏差値でお馴染みの「正規分布」の形が示す通りになると考えている。
なので、「多くの人が楽しめるもの」は「標準の枠の外」を考慮しない。コンテンツメーカーは「わかる人にはわかる」みたいな商品を作っていては利益の最大化が狙いないので、やらないのである。
理解するのに特別な知識や経験、思考力は必要なく、仮に理解できなかったとしても「なんとなく楽しい」という感想を持ってもらえればそれで良い。
そしてコンテンツメーカーは、獲物がそういう「薄いコンテンツ」を消費したら、すぐに次の「薄いコンテンツ」の消費に取り掛かってもらいたいのである。
作ったコンテンツが人の記憶に残る必要はない。むしろ、忘れてもらった方がいい。1つのコンテンツで満足されては次の「薄いコンテンツ」を飲んでもらえないから。
「多くの人が楽しめるもの」は簡単に楽しめる「薄いコンテンツ」であり、それは無限の消費を促すために記憶から消えやすいくらいにあっさりする構造をしているのである。
喉が渇いて塩水を飲んでるような人たち
「薄いコンテンツ」はいくら飲んでも喉が潤わない塩水と同じである。
消費してもほんの数秒の喜怒哀楽が起こり、また数秒後には新しい喜怒哀楽に切り替わる。
素早く切り替えられるくらいにあっさりした小さい感動なので、いくら消費しても満足感はない。
むしろ、満足感がないことから満足感を渇望するようになる。
そうなった時に、『「薄いコンテンツ」をいくら見てても意味ないかも。。』と思えれば、「塩水を飲む不毛なループ」から抜けられるが、それができる人は「標準の枠内」にはいない。
それは「特別な感性を持った上か下に外れた人たち」にしかできない。
そして塩水すら飲めない砂漠に自分から飛び込む
「薄いコンテンツ」は単純にそれを消費させることを目的に作られていない。
真の目的は、「エビで鯛を釣る」ということ。
大量の「薄いコンテンツ」の消費を通して、特定の消費をさせるように促す価値観を作る。
「家、車、服」などわかりやすい消費もあれば、「今を楽しむための借金はあり!」みたいになんでも買わせられる強力な価値観を植え付けてくる場合もある。
これに引っかかったヤツに、もう「薄いコンテンツ」を消費させる必要はない。借金を通して寿命いっぱいまでの「信用」を剥ぎ取って、死ぬまで「利息」を搾ればいい。
さらに嬉しいのは、獲物が搾り取られたお金を求めて、「労働」をしてくれることである。
結局のところ、お金は「労働」で財やサービスを作ってもらえなければ使う宛てがないのである。
貨幣コレクター以外はこれでは困る。
「少数のお金ホルダーと、大量の金なしゾンビ」がいる構造の方が、「お金ホルダー」は嬉しいのである。
具体的な対抗策
筆者が考える具体的な対抗策は、大まかに言うと「自分で選べる環境を作ること」である。
- 「名も知らぬ誰かのおすすめ」は絶対に見ない。
- 「広告」は絶対に見ない。目に入ったら忘れる努力をする。
- 何かを良いと思ったら、「なぜそれが良いと思ったのか」を徹底的に考え続ける。
- 「これを使えば大丈夫」という価値観を信じない。あらゆる問題は単純には解決しないと心得る。
- 消費する時は「会社で稟議を上げる」ようなプロセスを自分の中に持って簡単に決断しないようにする。
以上が筆者の現在行なっている対抗策である。
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