強制された人間関係の中で「いい感じにやる」ことのコストはでかい

学校や職場の人間関係は強制されたモノ

 子供も大人も、「組織に所属しなければならない人」は人間関係を選べない。

 基本的に組織のオーナー以外はその組織の人員構成に影響を及ぼせないからだ。組織のメンバーは、入ってくる人も、出ていく人も選ぶことはできない。

 組織のメンバーを選んでいるように見える「人事」みたいな役割を持っている組織のメンバーも、その仕事は「組織の生産性を高めるための人選」なので、個人的にその人が好みであるかどうかだけで選ぶことはできないのである。

 むしろ、個人的に嫌いであっても、組織に必要な能力を持っていれば採用しないということはできない。

「スマホ見っぱなし人間」も「付き合いで同僚と飲みにいく会社員」も努力家

 組織として活動する上ではそういう、「自分で選んだわけじゃない人間関係」の中で上手くやらないといけない。

 他のメンバーと表面的にでも「いい感じ」の関係性を作れていれば、組織での仕事はやりやすくなる。一方で、他のメンバーとうまくやれなければ最悪の場合、組織から排除される。

 街中でよく見かける「スマホ見っぱなし人間」は、周りと話を合わせるために「みんなが見ているもの」についてチェックしているらしい。昨今はコンテンツが無料または月額課金で見放題なので、チェックすべきコンテンツは膨大になる。なので、倍速再生をしても1日の大半を「スマホ見っぱなし状態」でいないと消化できない模様。いや、それでもおそらく消化しきれないだろう。

 情報収集で他のメンバーと趣向を同質化させて、人間関係を上手くやるパターンもあれば、組織のメンバー同士の共通体験を積極的に作って「いい感じの仲間意識」を作ろうとする従来型のパターンも依然として存在する。

 「会社の飲み会」や「社員旅行」なんかがこれに当たると思う。

 どちらにおいても「いい感じの仲間意識」を作るために、人生において有限で大事な時間・体力・お金を大量消費している。大した努力家である。

強制された人間関係の中で「上手くやる」ことのでかいコストの永久払い

 「スマホ見っぱなし人間」も「組織行事に積極的に参加するマン」も、人間関係を上手くやって、「組織生活を有利にしたい、あるいは、不利にはしたくない」との思いで莫大なコストを日々支払いながら生きている。

 しかし、これらの方法で人間関係を「いい感じ」にする努力には終わりがない。

 個人が所属する組織は変わる。進学や転職なんかは誰もが普通にやる。

 また組織の構造も変わる。おんなじ人間と一生涯仕事をすることはほとんどない。

 つまり、組織は長くて2~3年のスパンで形を変えるのである。

 なのに「スマホ見っぱなし人間」や「組織行事に積極的に参加するマン」という、自分のリソースを大量消費するやり方では、人間関係を「いい感じ」にやるコストがあまりにでかい。

 どうせすぐに組織も人も入れ替わるなら、別に無理に周りに合わせる必要なんかないじゃんと思う。

努力の全ては生活の糧を得るためにすぎない

 組織の中で人間関係を「いい感じ」にやる目的は、その組織に所属し続ける必要があるから。

 なんのために学校や会社という組織に属しているのかを考えると、すぐに「生活の糧を得るため」という答えに行き着く。

 「生活の糧を得るため」であれば、生きている限りはずっと必要なので、組織の中で上手くやり続ける必要がある。組織から排除されては生活の糧を得る手段がなくなってしまうからだ。

 給料がもらえる会社はわかりやすいが、給料を得るための下準備としての学校もつながっているので、所属する目的は同じ。

人生を無駄な努力をせずに過ごすために金を貯めて不毛な努力とお別れする

 「生活の糧を得るため」に、時間・体力・お金という貴重なリソースを大量に消費して、終わりなき努力をしていては、なんのために生きてるのかわからない。

 こういう「生活の糧を得るために生きている状態」は悲惨である。

 組織に所属しない、あるいは、生活の糧は組織以外からも手に入る状態になれば、こういう不毛な努力をしなくても良くなる。

 流行りの「個人で稼げ!」みたいなヤツはできれば理想だが、それは結構難しい。

 なのでやることは「なるべく金を使わずに生きる」ってことかなぁとぼんやり思う。

参考

 いつも青ざめてしまうほどに厳しくて、しかも、確実に身近にある地獄の存在に楽しく気づかせてくれる素晴らしいチャンネル。

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